2016年7月18日月曜日

白夜のチェス戦争

『白夜のチェス戦争』。ジョージ・スタイナーの著作が邦訳で出たさいの書名だ。(諸岡敏行訳、1978年、晶文社刊)

原題は The Sporting Scene: White Knights of Reykjavik (The New Yorker,1972, Faber and Faber,1973)

1972年の夏、アイスランドで開催されたチェス世界選手権の観戦記である。この題名からして、読者に勝負を挑んでいるとしか思えない。
もともと記事として掲載された雑誌〈ニューヨーカー〉の常設ジャンル枠「スポーツ界」をそのまま表題にしながら、そこに「一か八かの状況」という含意まで込めておいて、つぎに副題の「レイキャヴィクの白の騎士」を演目だしものの看板として掲げ、好奇をかきたてる。

White Knights in Reykjavik が転じて、「レイキャヴィクの白夜」white nights in Reykjavik にまでイメージが広げられれば、アイスランドの夏、7週間にわたるチェスの戦いに、これほどふさわしい書名は思いつけないだろう。

歴史に残る対決を間近で追いつつ、知の巨人スタイナーが見せてくれるのは、該博な知識に裏打ちされたチェスの歴史と神髄であり、それを語る卓抜な表現であって、読者にサービスするつもりはこれっぽっちもない。

その年の決勝戦は、国家の威信をかけて送りこまれた天才プレイヤー二人の対決だった。ソ連代表のボリス・スパスキー、アメリカ代表のボビー・フィッシャーが、両国の中間に位置するアイスランドのレイキャヴィクで、21回にわたって対局することになっていた。

ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』の物語が、赤白のチェス駒の戦いによって進行していくのをなぞるかのように、ソ連という「赤の陣営」と西側という「白の陣営」の対決が、東西冷戦時代の二大大国が対決する構図そのものに置き換わっている。
最終的にフィッシャーが7局、スパスキーが3局勝ち、ドロー(引き分け)が11局と、「白」の側が勝利した。

やはり東西冷戦下、ソ連の主催でおこなわれた第一回チャイコフスキー・コンクールで、アメリカのピアニスト、ヴァン・クライバーンが優勝し、英雄として華々しく迎えられるということがあった。そのときの熱狂を再現するかのように、ソ連を下したチャンピオン、ボビー・フィッシャーは英雄スター扱いされた。だが、この決戦を頂点に、彼は試合を拒否し続け、長らく伝説の天才プレイヤーのベールに覆われていた。彼に関する伝説は神話を生み、いくつもの伝聞記が書かれ、映画が作られた。

わたし自身、チェスをおぼえ、ボビー・フィッシャーという神話的人物に興味をもつようになったのは、ずっと後のことだ。

1972年当時、チェスにはまったく関心がなかった。留学して2年目を終えた夏のこと。この年度、アイスランド政府の奨学金を受けるようになって、わたしは大学の脇に立つ学生寮に住んでいた。その夏をデンマークの全寮制学校で過ごすつもりでいた。2棟の寮は、学生を退去させたあと、ツーリスト・ホテルに変身して、短い観光シーズンに集中する宿泊の需要に対応した。

今、逆算してみると、7月に入って早々わたしはアイスランドを離れたことになる。寸前まで老人施設で働いて諸々の費用を稼いでいた。当時、学生寮の1階ラウンジにチェスのセットが備えつけられていたという記憶は残っている。だが、自分の関心事で頭がいっぱいだった身は、そこにある真珠が目に入らない豚も同然だった。その夏、レイキャヴィクでおこなわれるチェスの世界選手権がどんなにすごいものだったか、あとになって認識することになる。

当時、アメリカでもチェスへの熱狂が生まれたそうだ。自分の幼い息子がどんなスポーツに才能を示すだろうか、と期待する父親に、チェスという選択肢が新たに加わった。そういう世界を描いたのが、フレッド・ウェイツキンの『ボビー・フィッシャーを探して』(1988)というノンフィクションで、映画化されて広く知られた。(邦訳は2014年、若島正訳、みすず書房刊)

2015年の『完全なるチェックメイト』という映画は、それ以前に作られたボビー・フィッシャー伝説やドキュメンタリーの映画とは一線を画している。
彼の狂気を主眼としているのだ。


1972年夏のレイキャヴィクで彼が見せた天才的対局と、それがために不問に付された傍若無人なふるまいの数々が描かれる。

試合に臨んで、自分がベストの状態になれないからといって、会場に現われない、いや、それ以前に、出国しようとしない。会場の音が気に障るからと、密室状態のピンポン室で試合をおこなわせる。
そのしつこいこと、ほとんど妄想の域に達している。まるでそれまでためこんできた猜疑心が最大限にふくれあがり、それを解消せねば、自分の天才を発揮できないとでもいうようである。その自信を裏付けるように、アメリカ出国を拒む彼のもとに、大統領府から電話がかかってきて、キッシンジャー補佐官(当時)がじきじきに懇願してくるのだ。

それほどに彼のパラノイドぶりは常軌を逸している。エゴイストなどという言葉ではとうてい説明できるものではない。自分を極限状態に追い込んだ人間に出現する狂気の一例がそこにある。だが、そこから目を離すことができない。その狂気は伝染するのか、何となく自分の身にもおぼえがあるように感じられてくる。ただ、あれほどの実行力でパラノイアを体現する人間がいることに驚くのだ。

(一徹な心が高じて凝り固まってしまうと、世の中にはびこっている怪しげな言説をすんなり受け入れられるものらしい。前々からユダヤ陰謀説に傾倒していたフィッシャーは、この試合以後、極端な反米・反ユダヤ発言を繰り返しては注目を集めた)。


Harry Benson: Bobby Fischer against the World
レイキャヴィクでの試合の期間中、フィッシャーがアイスランドの荒涼たる原野に出て、つかのま安らいでいる場面だけはほっとさせられる。実際に当時の写真も残っている。

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