2016年8月30日火曜日

伝説の「荒野の民」

前々回の「スプレンギ砂漠の歌」から続ける。

アイスランドの国民唱歌の代表格といっていい『スプレンギ砂漠越え』。その歌詞は、劇中のひとこまを切り取ったような情景を歌っている。
砂漠越えをしている一行は、何の用があるのやら、南のどこかから、北の目的地をめざして馬を走らせている。日没迫る頃、黒々と広がる砂漠にあると、あたりの氷河や岩山、溶岩台地が不気味な姿に見えてくる。それでなくても禍々しくさがつのっているのに、伝説の不穏な存在までもが記憶からよみがえってくるのだ。それらのすべてが絡まり合い、幻想を作りあげる。

この詩の源泉となっているフォークロアについては、豊富な民話が例証となってくれるはずだ。
今ここでは詩の第2連に出てくる「荒野の民」を取りあげてみたい。

útilegumaður、複数形は -menn。ウーティレグマーズル、ウーティレグメン。
これにどういう訳語をあてるべきか、あれこれ迷ったすえ、「荒野の民」としてみた。いまもって、より適当な言葉がないかと思案中なのだが。
アイスランド語の字義どおりでは「野宿者」「無宿の者」ということになる。何かの罪を犯し、その贖いができず、自分の社会で暮らすことができなくなって野に出ていくのである。本来の意味での「アウトロー」は、「法律上の保護を奪われた者」なので、そういう立場におちいってしまうと、あとは報復を受け、殺されるしかないからだ。
そういうやからが荒野で生きていくために、やむなく「盗賊・おいはぎ」になることもあった。

123世紀に書かれた一群のサガのなかには、よんどころない理由で法を犯し、野に身を潜めて生きた「追放者」たちの物語があり、『ギスリのサガ』や『グレティルのサガ』が有名だ。彼らは結局追いつめられて最期をとげるのだが、まちがいなく悲劇の英雄として描かれている。

アイスランドの古代では英雄とみなされることもあった「法の保護の埒外にある者」は、争いが日常だった時代を反映している。
近世のより平和な、あるいは停滞した時代になると、「アウトロー」が単なる「無法者、荒くれ者」とされてしまうように、定住民からすると、「荒野の民」はうさんくさい連中であり、恐ろしい「盗賊、おいはぎ」ということになってしまう。

スプレンギ砂漠の途中には、実際に「荒野の民」が身を隠して住んでいたことで知られる溶岩台地が広がっている。その名も「悪事の溶岩台地」という。溶岩が冷える過程でできる空洞などが住居として利用されていたという。



実在した「荒野の民」のなかには、〈山のエイヴィンドル〉のように名前や暮らしぶりまで知られていた者たちもおり、アイスランド近代の文学や美術に題材を提供した。右の写真は彫刻家エイナル・ヨーンソン(1874-1954)の作品。



2016年8月28日日曜日

下町のガムラン演奏とバロン・ダンス

八月が終わる前に報告しておかねば。
このあいだのお盆の時期、地元の神社の例大祭でガムラン演奏とバロン・ダンスが奉納された。

以前書いた「ガムラン音楽あれこれ」のなかで右の写真を掲げておいたが、あのときガムラン演奏に合わせて手足の動きを練習していた姿が、本番の晴れ舞台の聖獣バロンのきらびやかな姿と重なる。

バロンの頭(かしら)と毛深い胴体を支えて演じているのがこの4人だったとわかると、素のまま舞っていたときの姿が、あらためてすがすがしいものに思えてくる。




今ではこれが神社の奉納芸能の最後を飾る演目として欠かすことができない
演目自体、基本となるストーリーを引き延ばしたり、縮めたり、融通無下に扱えるらしく、雨が降り始めれば、適当なところではしょって幕を下ろす。今年は短いバージョンで唐突に終わった。




この神社では、3年に1度、規模の大きな本祭りがおこなわれる。それが来年だそうで、とすると、東京オリンピックの年もそうだ。

スプレンギ砂漠の歌

アイスランドで長いあいだ歌い継がれている『スプレンギ砂漠越え』の歌。歌詞の作者はグリームル・トムセンGrímur Thomsen という19世紀に活躍した文人だ(1820-1896)
3連から成るその詩を訳してみる。あくまで言葉の意味が優先することになるが。

Á Sprengisandi

Ríðum, ríðum, rekum yfir sandinn,
rennur sól á bak við Arnarfell.
Hér á reiki' er margur óhreinn andinn
úr því fer að skyggja á jökulsvell.
:,:Drottinn leiði drösulinn minn,
drjúgur verður síðasti áfanginn.:,:

馬を連ねて駆けろ、駆けろ、急いで砂漠を越えていこう。鷲が峰の背に日が落ちる。ここはいろんな魔物が徘徊する地。だから氷河の頂きが翳っていく。わが馬を主が導いてくださいますように。最後の行程は厳しいだろうから。~リフレイン~

Þei þei, þei þei. Þaut í holti tófa,
þurran vill hún blóði væta góm,
eða líka einhver var að hóa
undarlega digrum karlaróm.
:,:Útilegumenn í Ódáðahraun
eru kannski' að smala fé á laun.:,:

しっ、静かに! 丘の上をキツネが走る。口の渇きを血で潤そうとして。いや、それとも、だれかが羊を呼んでいるのか。妙に野太い男の声で。オーダウザフロイン(悪事の溶岩台地)に住む荒野の民が、ひそかに羊を呼び集めているのだろうか。~リフレイン~

Ríðum, ríðum, rekum yfir sandinn,
rökkrið er að síga' á Herðubreið.
Álfadrotting er að beisla gandinn,
ekki' er gott að verða' á hennar leið.
:,:Vænsta klárinn vildi' ég gefa til
að vera kominn ofan í Kiðagil.:,:

馬を連ねて駆けろ、駆けろ、急いで砂漠を越えていこう。ヘルズブレイズ(幅広肩)の岩山の端がたそがれていく。妖精の女王が馬の支度をしている時分。その道行きに出くわしてはまずい。キーザギルの野に到達するためなら、とっておきの馬だってくれてやろう。~リフレイン~


Herðubreið の岩山
馬を連ねてスプレンギ砂漠を通り抜けていく旅人たち。そのなかのひとりのモノローグが歌われている。
日没が迫るなか、道中の峰や氷河や岩山を見やると、昔話や伝説、迷信で知っている摩訶不思議な存在が実際にそこにあるように思われてくる。
夜には、黒い不気味な砂漠を魔物が徘徊するという。氷河の頂きがその気配を見せている。不吉な声音はキツネか、それとも荒野の民か。妖精の女王に出くわしでもしたら、どんな目にあわされるかしれない。早くここを抜け出し、人の住む地に到達したいものだ。

馬の跑足だくあしを思わせるリズムに酔わされ、歌う人の気分は高揚させられる。昔の旅人が道中感じた畏怖の気持ちは、今の時代ではスリリングな遊びみたいなものだろう。

声を合わせてこれを歌う地区住民のなかで、グンミは疎外感をおぼえ、集会所を出ていく。魔物や荒野の民や妖精の女王のことを歌って何になるというのか。ほんとうに怖いのは、牧羊をやっていて生じるいろんな厄介事で、何よりもまず伝染病だ。

映画『ひつじ村の兄弟』をめぐる話題はこれにて。



ついでに、というよりも当然、『スプレンギ砂漠越え』の詩の作者グリームル・トムセンのこと、その時代のことを少し語っておきたい。

若き日のグリームル・トムセン
当時のアイスランドはデンマーク領だった。アイスランド人が高等教育を受けるには、デンマークに出て行かねばならない。グリームルはコペンハーゲン大学で最初、法律学と文献学を学んだあと、もともと関心が深かった哲学・美学に転じた。とりわけ心酔していたバイロンについて書いた論文が評価され、2年間のヨーロッパ旅行奨学金を与えられたほどだ。

同時代のデンマークでは、ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805-1875)が作家として知られるようになっていた。1835年の『即興詩人』が出世作となったが、彼の名前を不動のものにした童話作品のほうは当初、軽んじられていた。その童話をグリームル・トムセンは高く評価したという。

アイスランド人がデンマークで対等にやっていくには、改名することも必要となったのだろう。デンマークで通用するよう、グリームルはトムセン」を姓に選んだ。アイスランドにあればグリームル・ソルグリームソンと称するところを、父親の父称トーマソンTómassonを姓とみなし、これをデンマーク風にトムセンThomsenに変えたということのようだ。

グリームル・トムセン生誕150年の記念切手
その後、デンマークで外務省入りし、長官職まで勤めあげてから、彼はアイスランドに戻り、全島議会議員に選ばれた。
詩人グリームル・トムセンは、当時のヨーロッパで盛り上がりを見せていた民族的ロマン主義を存分に吸収し、それをアイスランド語で美しく歌いあげたと言うことができる。
孤立して停滞のきわみにあったアイスランドは、ロマンティシズムがかきたててくれる活力を必要としていた。祖先たちの栄光の歴史を思い出せと鼓舞してくれるものを。
その詩作品は、デンマーク領アイスランドで民族意識覚醒の気運を醸成し、自治獲得の運動にも影響を与えた。彼の死後、自治権獲得が実現した。
(アイスランドがようやく独立を果たしたのは1944年、デンマークがナチス・ドイツの占領下にあった時のことだ)。

2016年8月17日水曜日

アイスランドに「村」はない

前回、『ひつじ村の兄弟』という映画について書いたなかで、タイトルに苦言を呈したが、日本での配信戦略として見るなら、万人向き路線で手を打って、無難なタイトルに落ち着いたというところだろう。

タイトルの名づけのことはさておき、対象への理解を狭めているのは、生活形態の違いからくる言葉の意味のずれだ。どこにでもありそうな言葉だからといって、世界のどこへ行っても同じ概念で通るわけはない。
たとえば「村」がそうだ。日本でイメージする農村(田舎にある集落)は、アイスランドでは「田舎町」と呼ぶしかない。

アイスランドの農業の基本は牧畜で、農家(つまり農場)はそれぞれが孤立していると思えるくらい離れていなくてはならない。
夏のあいだ家畜に草を食ませるため、また、冬季の飼料として備蓄しておくため、牧草が生える土地が広ければ、それだけ多く羊を持つことができる。

映画の舞台になっている土地の住民は、自分たちの地区のことを「われわれの谷」と呼んでいる。山脈やまなみのあいだに広がる平地のことを言っているのだ。丘陵の麓に家屋と畜舎を構え、陽当たりのいい傾斜地と平地で放牧し、牧草を生やす。平地の中央に水路が切ってあって、斜面から流れ落ちる雨はここに流れ込んで排水されるようだ。

独立自営農場主として自尊心高く暮らしているつもりでも、それぞれの牧畜農家は行政上の地区に入れられて、国家の下にあるからには、一国一城の主を気取ってばかりはいられない。

その地区で牧畜を営むのは、グンミとキッディのほかはみな若い世代で、農場育ちでさえない。品評会やその他の目的で集会所に集まってくる面々の立ち居振る舞いでそれがわかる。町の住民が、独立農場主の生活にあこがれて、廃業した農場で牧羊を始めたということのようだ。羊の品評会のあとの宴会で声をそろえて〈Á Sprengisandi 〉を歌う場面がそういう背景を語っている。
この歌にうんざりして、グンミは集会所の外に出たのだ。

『スプレンギ砂漠越え』--アイスランドの国民唱歌のなかでも、圧倒的に人気が高いナンバーだ。民謡とみなされることもあるが、作詞者も作曲者も知られている。
馬を走らせ、難所の砂漠を通りぬける旅人の心象が描かれた歌詞。そこにメロディが、乗馬のリズムを刻んでいく。両者の緊密な掛け合いが、この歌の魅力を語っていて、長らく歌いつがれてきたのもよくわかる。
その点で、日本の『花(隅田川)』のような唱歌にたとえていいかもしれない。あるいは北原白秋や三木露風の叙情味あふれる(多分に絵空事の)詞による唱歌が思い浮かぶ


スプレンギサンドゥルはアイスランド内陸高地の砂漠で、火山灰の堆積が黒々とした不毛の地となって広がり、独特の荒涼たる景観を作り上げている。冬は積雪のため、春は雪解け水の川と化して、そこは交通路として使うことができず、夏のあいだだけ通ることができる。古い時代、ここを馬で通り抜けようとすると、水もない、草地もない長丁場で、「馬がくたばる (sprengja) 砂地 (sandur) 」といわれ、この名前で呼ばれてきたそうだ。
(わたしのなかでは「sprengi(噴火)でできた砂漠」のイメージが根付いてしまって、「火山灰砂漠」とか「黒い砂漠」と呼びたい気がする)。


Sprengisandur
『スプレンギ砂漠越え』の歌は、19世紀後半に活躍した詩人、グリームル・トムセンの詩がもとになっている。作曲はシグヴァルディ・カルダローンスとシグフース・エイナルソン。別バージョンのメロディもある。

(次回に続く)

2016年8月11日木曜日

映画『ひつじ村の兄弟』~滅びゆくものたち

老いてからのボビー・フィッシャーは、ホームレスと見紛う風貌を見せている。偏屈ひとすじの歳月に作り上げられた険のある顔を、さらに髭が野放図に覆っている。
その孤影が別の偏屈男たちの姿にかぶさる。アイスランド映画『ひつじ村の兄弟』に登場する老いた二人の兄弟だ。

そもそも、この日本上映のタイトルには、何か勘違いさせようという意図でもあるのか? 素朴で心なごむ作品と思って観てくださいよ、とでも?

 
原題はHrútar、英語版ではRams。ただ単に『牡羊たち』。何のてらいもない。即物的な題名にふさわしく、描写は冷厳だ。


主人公の兄弟は、アイスランド内陸部の牧羊地帯で、祖先から受け継いだ、今や希少種となった系統の羊を飼育しながら、同じ農場で別々に暮らしてきた。


弟のグンミ(本名グズムンドゥル)は、父親の遺志で農場を引き継ぐことになっただけあって、目端が利く。兄のキッディ(本名クリスチャン)はそのことを根に持ちながら、そのまま居すわって牧羊を続けるしかなく、いささかだらしない。キッディは弟に口をきくことさえない。そんな暮らしも、もう40年になる。言葉をかわさないかわりに、言いたいことがあれば、用件を書いた紙を犬に運んでもらう。そうやって生活上の最低限のつながりはたもってきた。兄弟の確執すら、もはや二人を結びつける絆となっているかのようだ。
伴侶を持たないまま老齢に達してみれば、兄弟どちらにとっても、自分が繁殖させてきた羊だけは、まちがいなく、かけがえのない家族、財産となっていた。

冒頭から、場面は不吉な気配をただよわせている。放牧地で兄の羊が死んでいるのをグンミが見つけ、一抹の不安がよぎる。
それからまもなく、二人の農場の属する行政区で恒例の羊の品評会が開かれて、キッディの羊が優勝した。品評会は宴会へと続いていく。地区の集会所で若い連中といっしょに楽しめないグンミは外に出て、自分を出し抜いたキッディの羊どもを検分してやることにした。

そこで彼の不安は的中する。もはや隠しようがない。羊の伝染病の徴候が見てとれたのだ。それは「スクレイピー」と呼ばれる、羊・ヤギ類に特有の神経系の病気で、いまだに治療法がなく、発生したら、伝染をくい止めるため、ただちに近隣一帯の群を隔離し、殺処分するしかない。
グンミはすぐさま自分の農場に引き返して、大切にしている羊たちのなかでも特に逞しい現役の種牡と若牡、それに若くて健康な牝を何頭か選び出し、よく消毒してから、見つからないよう羊舎の地下室に移動させる。それから翌日、そ知らぬ顔をして郡の保健衛生局に通報する。
ただちにキッディの農場で検疫がおこなわれ、全頭殺処分が命じられる。当然、処分はそこにとどまらず、地区全体の農場にもおよぶ。グンミは秘蔵の羊たちを見つけられないよう、自分の農場の羊は自分の手で処分した。
Kiddi(Theódór Júlíusson) / Gummi(Sigurður Sigurjónsson)

だが、羊たちをずっと隠し通せるものではない。何かと関係者の出入りもあって、グンミの秘蔵っ子たちは見つかってしまう。そこに手を貸したのが兄のキッディだった。すぐに羊たちを山の上の避難小屋に連れていくのだ。兄弟で雪上車にまたがり、群れを追い立てていく。だが、その夜の雪嵐はあまりにひどかった。闇の中で群れを見失い、捜しに出たグンミは途中で力尽きて意識を失ってしまう。キッディに残されたのはこの弟の命だけだ。雪の吹き溜まりに風除け穴を掘って、その中にグンミを引っ張り入れ、その体を自分の素肌で抱きしめ温めようとする。世界を切り裂くようにブリザードの音が鳴り響いている。

監督・脚本はグリームル・ハウコナルソン(2015)。同年のカンヌ国際映画祭〈ある視点部門〉でグランプリ


この作品は滅びゆくものたちの物語だ。
血統を絶やさないよう何とか守ってきた羊の品種。守り手は兄弟二人だけ。今では老いた独り身だ。種牡と、すでに孕んだ牝羊たちはブリザードのなかで、二人の兄弟は、生の最後のともしびを絶やすまいと温め合うなかで、おそらくそのまま凍死することだろう。結末は描かれない。観る者の気持ちはそのまま虚空に置き去りにされる。
そのためだろう、いろんな連想が引き寄せられるのだ。
フロベールの『聖ジュリアン伝』の最後が思い浮かぶ。

北海道の寒波のなかで亡くなった人たちのことが思い出される。20133月、時ならぬ雪嵐に襲われたときのことだ。とりわけ幼い娘を抱きかかえたまま死んだ父親の話にみな落涙した。年がいってからさずかった一人娘を何とか生き延びさせようと、自分の上着を脱いで娘をくるみ、覆いかぶさるように抱きしめている姿で発見されたのだ。女の子は生きていた。

『主よ、御許に近づかん』という賛美歌が、滅びゆくものたちに寄り添ってくれる。
映画『タイタニック』では、このNearer My God to Thee(賛美歌320)の旋律が、豪華客船の最後を見届けるように静かに流れていた。