2018年8月31日金曜日

体験の容れ物、この夏


今しも自分が体験していることを、体験として残すには、どのようにすればいいのか?
目の前で見、聞き、匂い、感じることを、実況中継にして延々ボイスレコーダーに語りかけたとする。
残された音声をあとで再生してみて、はたしてそれを自分の体験だと実感できるか?おそらくできない。
そこでは「混沌」というものに直面するしかないだろう。形になることを求めている何かがうごめいているばかり。とはいえ、当時の情報が、たとえ細切れ状であれ、刻み込まれているはずだから、何かの役に立たなくもない。

そんな思いにとらわれているのも、この夏、78月の、酷暑と言おうが猛暑と言おうがとうてい言い足らない、形容しがたい暑さに打ちのめされながら、営々とやってきた過程があるからだ。
それらの細かなことどもは、時系列の枠にも、感情表現の方式にも、とうてい収まってくれそうにない。現在進行形で起きていることどもは、ひとりの個人を離れた、何か特別の容れ物を必要としていた。

この夏、19の年月を共にしてきた飼い猫が、最後の時を迎えようとしていた。そのことは明白だった。わたしは猫が生を脱する過程を刻々と追っていた。
最期を迎えるまでの1カ月余り、「わやん」は生を終えるための内なる手順に従って生きていた。わたしはそれを随時手助けするだけだった。

足どりが不確かになり、体を支えようとしてか、足を踏ん張って、頭を上へ下へと向けた。一年前から失明していた両目をいっぱいに見開いて。
わたしはその姿を、美術作家、小松美羽の作品『天地の守護獣』に重ね合わせた。生の終わりに神々しい姿をとることもあるのだ。驚嘆しつつ、そう理解した。




それから足が立たなくなった。それでも、手足を泳がせるようにもがき進むことだけはできるあいだは、寝床を汚さないようつとめていた。寝床をもがき出て、排泄するのだった。

そのあと身動きすらままならなくなった。それでも、約束事をおろそかにしてはならないとでもいうように、食べ、水を飲み(人の手を借りてではあるが)、生きる意欲を見せた。体は痩せていくだけだった。

骨と皮となったその姿は、中世の説話(説経節)の登場人物だった。異形の姿になりはてた小栗判官をわたしも引いていた。説経節語りが合いの手に入れる「えいさら、えいさら」という掛け声ばかりが、寄せ波のように頭の中でこだました。
 
小栗判官・絵・一ノ関圭

8月、月齢が最終日を迎える頃、大潮の引き潮に乗ってこの世を去ると決めていた、わやんは。
壮年の頃はみごとな跳躍ぶりを讃えられていたわやんも、たまには失敗することもあったよね。
引き潮に乗れなくて、仮死の状態からよみがえること2度、ついに日付が変わったばかりの引き潮の刻、わやんは吐息と共に波に乗って出ていった。