2016年4月27日水曜日

琥珀をめぐって

琥珀をめぐってひとつのことを語りたいのだ、じつは。でも、その核心の情報は、一行に収まるものでしかない。「ほう、そうかい」と言われて終わってしまいそうだ。そこでまた回想や妄想で土塁を築くことになる。

宮沢賢治が琥珀に閉じ込められたトカゲに恐竜を見たからといって、今の時代、『ジュラシック・パーク』級の小説や映画のおどろおどろしさを前にすると、賢治の驚嘆など、ため息ほどの迫力しか持たない。ただ、想像力をそそる点では同等だ。

太古の樹脂が石化してできた琥珀は、昔も今も世界各地の海底に眠っていて、海の気まぐれによって浜辺に打ち上げられてきた。
今では色ガラスの破片を琥珀粒とまちがえないようにしなくてはならない。昆虫を封入した人造琥珀だってある。琥珀の神話にまつわる香気はとっくに失せてしまった。

小学生の頃、買い与えられた本に、「秘密の小箱」というソ連の児童書があった。この本でわたしは琥珀というものを知ったはずだ。ネットで調べても、その本がだれの作かということにさえたどりつけない。けれども、今でも挿絵までうっすら憶えていて、なぜか独ソ戦争がらみの舞台背景があるとわかっているのは、その話が自分のうちに長くとどまって、のちに得た歴史事実によって肉づけされたからだろう。

こんな話だ。主人公の小学生の女の子は、夏休みの何日か、母と兄とともに町を離れ、バルト海沿岸の海水浴場で過ごす。これはすんなり入り込める設定だった。わたしも小学校時代の夏休み、日本海の海の家で、きょうだい・いとこ達とともに合宿生活を送ったものだ。
物語の女の子は、バルト海の浜辺で見つかると聞かされていた琥珀のことで頭がいっぱいだった。自分で琥珀の粒を見つけて自慢してやるのだ、と。だから、泳ぐどころか、浜の砂を掘りかえしてばかりいた。
でも、いくら探しても琥珀は出てこない。そのかわり、金属製の小箱を掘りあてることになった。煙草の葉と巻紙を湿気らせずにしまっておくための密封容器のようだ。開けてみると、巻紙の小さな紙片にメッセージが記されていた。「愛する妻へ、息子へ、娘へ」と始まっていて、決戦の直前、家族に宛てて急いで書きつけたものらしい。女の子はそれを、戦死した父が自分たち家族に書いた手紙だと確信する。
残りの筋はうろおぼえだが、女の子は母親から、亡き父は煙草を吸わなかったと聞かされても、何かと理由をつけて、それが父親の残した手紙だと思うようにし、小箱のことは自分だけの秘密にした。
小箱のメッセージには本来、独ソ戦争で父親を失くしたすごい数の子供たちに宛てたもの、という配慮がこめられているのだろう。

何はともあれ、バルト海という名称と、その海岸に琥珀が打ち上げられるという事実は、わたしのうちにしっかりとどまったようだ。


バルト海沿岸で採集された琥珀粒
ヨーロッパを周遊する旅の終わり、ポーランドのバルト海沿いのグダンスク、グディニアといった町で、琥珀の細片で作られたスーベニアを買わずにはいられなかったのは、その児童書のことが記憶によみがえったからだろう。ふだんみやげ物のたぐいを買うことはないのだが。

2016年4月26日火曜日

待つこと、持つこと

待つ、持つ。「まつ」と「もつ」、この二つの言葉は揺籃期、同じ巣で育つ兄弟の雛鳥だったのではないか。巣を飛び立ったあとは別々の道を行くことになる。
(フォーク・エティモロジー未満のたわごとだな)。

このたわごとじみた想念に拍車をかけるのが、右と左、西と東の不思議な間柄だ。奇妙なことに、みぎ/にし、ひだり/ひがし、と符合している。
migi が西nisi と手を結ぶと、左hidari higasi が反対側で手をつないでいる。
左手で東を指し、右手で西を指している人の顔は南に向いている。

人類が移動して新しい土地へとちらばっていき、日本の島々にやってきた人々は、きっと南に進むつもりでいたのだ。だが、移動を続けて南の太平洋に乗り出すという選択はせず、気候にも土地柄にも恵まれた地にとどまっている。待っている。
(そらごとにもほどがあるな)。

待っているうちに、持っていく。たまっていく、ためるようになる。ためこむと、人は移動したくなくなる。移動するつもりなら、ためたものを捨てるしかない。「泣く泣く捨てる」という言い方はしても、「泣く泣く蓄える」などと言わないのは、移動しないのがこの国では常態となってしまったからだ。
持ち物を持て余す人たちにつけこんで、「断捨離」などという恐ろしげなお題目をかかげる宗教まであらわれるしまつだ。

蒐集には、ためるのとは別の力学が働いていると思いたい。
世にも奇妙な〈シュヴァルの理想宮〉は、もとはといえば、郵便配達夫シュヴァルが石を集めることから始まった。
板谷栄城著・工作舎1994

宮澤賢治は「石」に対する偏愛があった。鉱物、宝石、貴石といった硬質なものが柔和な想像力を羽ばたかせるところにも、彼の作品の独自性が現われている。すでに幼いときから石の魅力にとりつかれ、故郷盛岡ではよく鉱物採集に出かけ、山のように蒐集していたいう。


わたしも石を集めてみたことがある。アイスランドに留学中、サガの舞台となった土地を回る遠足の途中、どこの海岸だったか、波打ちぎわにゴロゴロしている石のなかに模様のきれいなのを見つけていくつか持ち帰った。それがわたしの石の蒐集の始まりだった。持ち帰る石の規準は最初から決めていた。模様がきれいで、手で握れる大きさまでの丸いもの。集めた石は学生寮の部屋の窓台に置き並べ、そのうちに、積み上がるまでになった。結局、それらの石はアイスランドを離れるさい、旅に持ってゆけない衣服などといっしょに捨てた。そのどちらにも未練はなかった。その先に新しい世界が待っているはずだった。

2016年4月19日火曜日

髭の生えない男、ニャウル

『ニャウルのサガ』全159章のなか、第20章に達してようやく、主人公のニャウル本人が登場する。

「ニャウルという男がいた。(このあと父親の名、母親の名とその出自、さらに彼女のなした息子たちの名が列挙される)。ベルグソール丘に屋敷を構え、ソーロルヴ山にも地所があった。財産に恵まれ、顔だちは整っているものの、ひとつだけ妙な点があった。髭が生えなかったのである。法にかけては並ぶ者がなく・・・」

劇的言辞などない語り口のなかで、突然、「髭が生えなかったのである」と言われると、聴き手は噴き出しそうになるが、それより早く、続く謹厳な描写によって笑いを覆い消されてしまう。

このようにニャウルが描写されて数章置いてから、彼の息子たちのことが語られる。
「彼(長男のスカルプ・ヘジン)は栗色の縮れ毛で、美しい目をしていた。色白で鋭い風貌ではあるが、鼻が曲がり、出っ歯のため口もとは醜かった。頭のてっぺんから爪先まで戦士であった」
英雄、かならずしも輝かしいものだけでなりたっているわけではないのだ。

ニャウルに髭のないことをあげながら、作者(無名)は決して主人公を戯画化しようとしているわけではない。先見の明のあるこの賢人は、思慮と慈悲にあふれる助言を与え、それが物語を押し進めていく。と同様に、髭のないことも十分、物事を動かす契機となりうるのだ。

ニャウルと親しい間柄にあるグンナルという男が、物語の副主人公のような役割をする。グンナルの妻はハルゲルズという絶世の美女で、早くも第1章で、彼女がのちにファム・ファタールとなる素地が暗示されている。まだ少女だったハルゲルズを見て、叔父にあたるフルートが不吉なことを言うのである。
「あの子供はじつに美しい。この美貌が多くの男を苦しめることになるだろう。しかし、どうしてまた、泥棒の眼がわれわれ一族のなかにまぎれこんだものやら」
まさしく、グンナルに嫁す前、彼女は二度も夫を死に追いやる形で失っている。

このハルゲルズがささいなことから、ニャウルの妻に難癖ををつける。
「あんたとニャウル、破れ鍋にとじ蓋ってとこね。あんたの爪ときたらどれもこれも亀の甲みたいだし、ニャウルのほうは髭なしとくるし」
なじられたベルグソーラは、招待した側だったことから、おさえにおさえたあてこすりを言うにとどめる。
「そのとおりだわ。でも、わたしたち夫婦はたがいのあらさがしなんかしませんからね。それよりも、あんたの前の夫のソルヴァルドは髭があったのに殺されたじゃないの」

その後、長く続く両家の争いは、このとき腹を立てたハルゲルズが口火を切ることで始まる。最初のうちは、殺す対象は奴隷だったのが、しだいに自由民へとエスカレートしてゆき、そのぶん賠償金の額も上がっていく。

そんななかハルゲルズは、自分の屋敷にたまたま立ち寄った乞食女の一行からニャウル一族の消息を聞き出す。
「ニャウルの屋敷の下男たちは何をしてた?」
「全員見たわけじゃありませんがね、下男のひとりは糞尿を車に載せて、野っ原の丘まで行ってましたよ」
「何をしようというつもりかしら?」
「それで牧草がよく育つようになるとか」
「ニャウルも抜けてるところがあるわね。いつも他人に助言を与えているくせに」
「どういうことですか?」
「いいこと、ニャウルは自分の顎に糞尿を撒けばいいのよ。そしたら、ほかの男みたいに髭が生えるのに。これからあいつのことは髭なし爺いと呼んでやるのよ。息子たちのことは糞髭小僧って」

「髭がないこと」はかように、ついには当人の死でもって終わらせるほかない運命を紡ぐのにひと役かっているのである。



(アイスランド語の固有名詞をカタカナ表記するにあたって、問題が多々あり、いずれ詳しく解説したいと思っている。今のところは、なるたけ変化語尾を省き、単純な音にすることをこころがけている)

2016年4月16日土曜日

地球物理学者、島村英紀氏

九州の熊本と大分で大地震が起きた。心のつぶれるような出来事だ。大きなものが何事かなそうとしているさなか、それを避けるすべもなく、祈るしかない人間ひとりひとりを思う。

今回も島村英紀教授が地震学者としてマスメディアから発言を求められている。
氏は地震学を含めた広大な地球物理学の分野で、世界的評価をえているだけでなく、日本の国土と暮らしの観点から、どのように地震に対処すべきか、といった具体的な提言の数々もある。

今となっては信じられない話だが、これほどの逸材を、以前、日本国は抹殺しようとしたのだ。氏の追い落としには、「地震予知」という占いめいた目標を掲げる研究組織に安住し、国家予算を得ていた学界が加担した。

十年前に起きたこの訴訟事件は、忘れられていいはずがない。とりわけ今でも「地震予知」というものが、いささかなりと実現するきざしもないことを思えば。

わたしは不覚にも、その事件自体、知らないままでいた。事件を報じる新聞記事を見ても、公職にある人のよくある不祥事くらいに思ったのだろう。

のちに島村氏が体験記を出版し、その本の紹介文で事件の顛末を知ったとき、わたしは衝撃に打ちのめされた。島村氏とは面識はない。アイスランドの火山をめぐる氏の著作に関連して、メールと電話でやりとりしたことはあった。それはわたしの氏へのオマージュだった。

今ではもうないが、「BK1」という書籍販売サイトは、書評記事で有名だった。そこにわたしは氏の問題の著書『私はなぜ逮捕され、そこで何を見たか』 (講談社文庫)の評を書き送った。
当時のBK1の読者書評は、hontoに吸収された今でもまだ読むことができる。

わたしがBK1に寄せた書評は以下のとおり。


地球全体をフィールドとしてきた科学者が、ある日突然逮捕され、半年にわたって勾留されるという体験を、持ち前の好奇心を全開にして、新奇なフィールドに挑むように記録した異色の手記

14人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2009/02/07 22:41


 今から3年前の2006年、メディアが騒ぎたてたホリエモン逮捕から9日後の2月1日、ひとりの学者が東京の自宅の家宅捜索を受けた。彼はそのまま拘束・逮捕されて札幌の拘置所に送られ、保釈を一切認められないまま、実に半年近く勾留されることになった。

 逮捕され、その後起訴されたのは島村英紀。国際的に知られる地球物理学者。日本では地震学者として一般向けの著作でもよく知られている。北海道大学を拠点に、地震・火山・極地の研究機関で活躍してきた逸材だ。

 起訴の理由は「詐欺罪」。北海道大学時代の島村教授が、みずから開発した海底地震計をノルウェーのベルゲン大学に売却し、その代価を教授個人の口座に振り込ませ、研究費にあてたというのである。

 これは世にも奇妙な言いがかりというものだった。
 そもそも北海道大学は研究費など出してくれず、研究者が外国から研究費を得ることになっても、大学には小切手を受け取る仕組みさえなかったのだ。
 それどころか、「詐欺」にあった当事者とされるベルゲン大学が、自分たちは詐欺にあったとは思っていない、島村教授には感謝している、と証言している。

 詐欺のかけらもない詐欺罪。一般常識から考えても、この件は、教授の側で煩わしい手続きを少しはしょっただけのささいな逸脱で、この機会に大学のほうで入金の仕組みを作ればよかっただけのことである。
 しかし、一審で「懲役3年、執行猶予4年」の判決が下った。
 これに対して被告が控訴すれば、あとに続く裁判で無限に時間をとられる。しかも、国を背負った検察の主張は上級審でくつがえされることなく、そのまま通ってしまう。
 研究者として現役の島村は、控訴しないという苦渋の選択をした。

 本書は、こういう体験を経てきた著者のいわばフィールド・ノートである。「事件」そのものについて順を追って語っているわけではないので、ドラマ性はない。初めて見聞きする事象に興味をかきたてられ、それを客観的に記録すべく、感傷を排して、事実を淡々と記していく。快活さすら感じられるその筆致はまぎれもなく科学者のものだ。

 「いままでしたことがない経験に踏み出す。これからなにが起きるのだろう、そういった意味では、初めて南極に立ったときのほうが、よほど興奮していたと思う」(p.26)
 独房は「(船の)キャビンだと思えば結構な広さがあるし、船と違って天井も高い。第一に、揺れないのがありがたい。・・・エンジンの音に煩わされることもない」(p.45)
 「壁は分厚いコンクリートに白いペンキを直接塗ってある。殺風景といえば殺風景だが、いっぽう、厚い壁に囲まれているということから、これほど地震に強い建物はあるまい」(p.46)
 「鉄格子だと思うと気が滅入る。障子の桟だと思うことにした」(p.51)
 独房の外のガラス戸に、かつて見た景色を呼び起こして映し出す。「白い砂浜と椰子の林が眩しい太陽の下に拡がっているラバウルの熱帯の海岸や、マグマが冷えて固まった峨々たるアイスランドの岩山や、南極の氷河や、北極海で見た何千頭というアザラシ・・・」(p.122)

 毎日、看守や雑役係の役割・行動を観察し、食事を楽しみ、その内容を丹念に記録する。もちろん取り調べ担当の検事もしっかり観察されている。
 「検事も気の毒な商売だ。あんな形相を繰り返すのでは、ストレスもたまるに違いない。そして、町で飲んで憂さ晴らしもできない職業だけに、たまったストレスのはけ口もあるまい」(P.103)

 そして、日本の司法慣習の理不尽さをあらためて知る。
 「調書が「私が・・しました」という形式で書かれていることだ。実際には検事の質問に被疑者が答える形式で尋問が進んでも、調書になったときには、「検事が調べたところ・・と言った」とか「こう聞いたら、こう答えた」という形式にはならないのである」(p.64)
 日常の些事に煩雑な手続きをとらせること。あるいは、長期勾留がまかりとおり、そのためには、どんなことにも拡大解釈できる例外規定をあてて、保釈を却下する現状。

 それにしても、高名な学者がなぜこんな目にあわなくてはならなかったのか?
 著者にはその理由がわかっている。だが、本書では科学者らしい態度を貫いて、第三者の発言として示唆するにとどめる。
 「私が著書や発言で、政府の地震予知計画を厳しく批判してきたしっぺ返しなのではないか、というのであった」(p.301)
 問題の著書は、逮捕の2年前、柏書房から出た『公認「地震予知」を疑う』。これが国の逆鱗に触れたのである。

 門外漢の私が島村英紀を知ったのは、岩波ジュニア新書の『火山と地震の島国――極北アイスランドで考えたこと』を読んでからで、視野の広い、魅力ある人物として記憶にとどめていた。その人が、鳴り物入りの「地震予知」を批判しているというので、問題の本には驚かされたが、堂々と「王様は裸だ」と言ってくれているのは痛快だった。

 この本はさいわい講談社から再刊されている。『「地震予知」はウソだらけ』という、より明快なタイトルに変えられて。     

 地震予知は国策だった。それを専門の立場から批判する人間は、国として放置しておくわけにいかなかった。――著者がそう言っているわけではない。しかし、それは重いメッセージとして本書からつたわってくる。


[付言]「地震予知」には国民的願望がこめられている。だからといって、メディアが「大本営」にすり寄った希望的観測を流すのは無責任ではないか。
 最近も、最相葉月が地震学者の石田瑞穂に取材した、「未来の地震予知へ道を拓く」というタイトルの記事を見かけた。
 一般の人の求める「いつ、どこで、どの程度の地震が起きるか」ということとは無縁の内容であるにもかかわらず、このような見出しをつけずにはいられない。――こんなところにも、地震研究が科学にとどまることを許されない現実がかいま見える。

(引用終わり)


【追加】長々しい記事になってしまったが、重荷に小付けを。長年愛読しているChikirin氏の昔の記事。「"検察が逮捕したい人"一覧」。皮肉がいっぱい。


2016年4月14日木曜日

『ニャウルのサガ』異聞

1970年の夏、もうすぐアイスランドに向かうため準備に追われていた頃のことだ。新聞の外電欄の、小さくはあるが奇妙な記事が、わたしの目に大きく飛び込んできた。アイスランドの現職大統領が、別荘に滞在中、火事にあって、孫とともに焼け死んだというのである。
反射的に『ニャウルのサガ』のことが思い浮かんだ。「アイスランド・サガ」について語る人がかならず筆頭にあげる、サガ文学の白眉といっていい物語である。1200年代に書かれ、『焼き殺されたニャウルのサガ』という異名でも呼ばれる。

Brennu-Njáls Saga 第1章
(Einar Ól. Sveinsson gav út)
Hið Islenzka Fornritafélag, Reykjavík
アイスランドにキリスト教が導入されたのが紀元1000年のこと。そのころ実在した Njáll ニャウルという、名前からしてアイルランド系(今でいうNiall / Niel)と想像される、気質の穏やかな賢人が、自分の一族と敵対する一族とのあいだで際限なく殺し合いが続く事態を終わらせようと心に決めた。敵の一団によって屋敷を包囲攻撃されたさい、これを受けて闘うことはおろか、火をかけられた家から逃げ出すことさえせず、老妻、孫とともに寝台に横たわったまま焼け死ぬことを選んだのである。
この殉教的な行為が人々の心を揺り動かし、あれほど憎しみが燃えさかっていた抗争も、一気に鎮静化し、和解へと収束していく。

外電欄の小さな記事はわたしにこのニャウルの熾烈な死の場面を呼び起こした。一国の大統領が孫とともに焼け死ぬなど、人口1億の国に育った者の感覚からすると、恐るべきことに思われた。しかも、あまりに有名な歴史的エピソードに似ている。単なる火災事故だったにしても、そこに何らかの意味合いがこめられてはいないだろうか?

その秋からわたしはレイキャヴィクの住人になった。滞在先の家庭でさっそく「アイスランド大統領焼死」事件の話題を持ち出してみた。だが、わたしが教えてもらった事実のなかに、あの小さな記事からへだたるものはなかった。『ニャウルのサガ』を引き合いに出す人々もいる、という言葉も付け加えられた。じつのところ、その口調は「アイスランド・サガ」の語り口に似ていた。
サガの描写には、心理的な意味づけや、物事の理由づけがあってはならないのだ。

「大統領の焼死」はサットゥル(索に撚りなすための糸)のまま、人々の記憶のなかに保存されている。それが長年にわたって語り継がれていくなら、そのほかの多くの糸といっしょに索に撚り合わされて、サガという長編物語が完成するだろう。大統領をめぐるほかのさまざまなサットゥルが、ひょっとして彼の死を推し進める契機として働いていたことを明らかにしてくれるかもしれない。大統領が孫とともに焼け死ぬという運命がそこに読み取れるようになるのかもしれない。そのときに「焼け死んだ大統領のサガ」が完結し、彼は悲劇の英雄となるのである。


(この文章はわたしの古いノートからほぼそのまま引き写した。日付はないが、自分で訳したブリクセンの文体が、恥ずかしいくらいはっきりと見てとれる。きっと訳しながら、あるいは訳文を推敲しながら、ひょこっと思いついたことを書き留めたものだろう。ルーズリーフの紙片には分類のための符号だけは印してある。「噂」と。そう、「噂の系譜」という項目をたてて、いつの日かエッセイを書くとき材料にでもなるかもしれないと。古い紙片たちは、このような形で引っ張りだされるとは思ってもみなかったろう)。

2016年4月13日水曜日

一本の長い索

承前。
フルートゥルのその後について、うんとはしょった形でつたえておくと、臣下の身分とはいえ異国にいるうちに郷愁の気持ちがつのり、結局、ノルウェー王に暇を願い出る。先代の后はこの若い情夫との別れにさいして呪いをかける。「アイスランドに戻っても、そなたは思いを寄せる女と睦み合うことはないだろう」。
果たせるかな、この男、アイスランドで約束どおり有力者の娘と結婚するのだが、しばらくすると妻の側から離婚を言い渡される。妻が自分の父親に打ち明けるには、夫の下半身に問題があるとのことだった。これを決め手として、父親は全島民会の場で、娘とフルートゥルとの離婚を宣言する。

この「下半身問題」に話題を持っていくつもりだったのだが、そもそも「あらすじ」をたどるということを物語が拒否しているように思えて、先へ進むあたわずの状態に陥ってしまった。主要な筋に、傍系の筋がからみつき、しかも、その枝葉のごとき話が、のちに語られる一族間の不和につながっていくのだ。そんなわけで、何とも中途半端な終え方ではあるが、今のところはこれにて。

saga(サガ)とは語られたもの。単なる話であり、物語や伝説であり、過去の歴史もサガと呼ばれる。


古代に書かれたおびただしい「アイスランド・サガ」には、王をめぐる史話もあれば、キリスト教者の列伝もあり、伝奇的な説話もありといったふうだが、質、量ともにまさっているのが「アイスランド人のサガ」というジャンルで、アイスランドに実在した個人の長い一族物語で、リアリスティックな語り口のノンフィクションと見せかけながら、実は語りを楽しむためのフィクションだとも言える。逸話のように短い物語は þáttur (サットゥル--撚り糸)と呼ばれる。その細くて短い撚り糸を、縄を綯うように、何本も撚り合わせ、引き締まった一本の長い索に仕立て上げられたところに、ひとつの長編サガが立ち上がる。

2016年4月11日月曜日

「アイスランド・サガ」へと続く

映画『最後の一本』からどのように続けていくか、という筋立ては最初にできていた。これから「アイスランド・サガ」を引き合いに出すことになる。だから、少し古代文学の香りくらいは撒いておきたい。

「死後の名声」は国家や権威から与えられるものでは、むろん、ない。
古代アイスランドのカノンが繰り広げられる箴言集『ハウヴァマウル』は、テキストの韻文がアイスランドに残されたおかげで、「死なないもの、ただひとつ、死後の名声」といった世知が伝承されている。だが、それはもともとノルウェー西部の豪農たちが一族郎党プラス家畜を引き連れてアイスランドに移住するさい、胸のうちにたずさえてきた思考態度だ。
ノルウェー国の統一を果たした王に服従するなど真っ平御免という独立農民たちが、自由を求めて北海に浮かぶ島に渡ってきたのが、アイスランドという国の興りだった。

その新天地には、さいわいアメリカ大陸のように先住民が住んでいたわけではないので、残虐な殺戮はなかった。だが、原生していた樹木は伐りつくして、その後再生することはなかった。数少ない野生動物については、保護などという考え方がなかったため絶滅したものもある。ペンギンの一種 geirfugl (オオウミガラス 学名Pinguinus impennis )がそうだ。

一方、「アイスランド・サガ」という散文は、アイスランドに移住した人々の子孫によって羊皮紙に書かれ、数多く残された。その代表的な題材は「アイスランド人のサガ」、つまり、実在した人物の断片的な伝承譚の数々を、語り手がひとつの長編物語にまとめたもので、登場人物の姿に「逝きし世の面影」が刻みつけられている。『誰それのサガ』といえば、タイトルに冠された人物の一代記であると同時に、その時代の人物群像の絵巻でもある。

ようやく具体的な物語のなかに足を踏み入れる。よりによっていちばん有名な『ニャウルのサガ』だ。
物語のタイトルになっている主人公ニャウルが登場するまでには何十ページもついやされる。人物のあいだで確執が生じていく過程を、前もって明らかにしておかなくてはならないからだ。

そこでフルートゥルという男が前座をつとめる。「大柄の美男で力持ち、武芸にひいで、物事に動じず、抜け目なく、敵に対しては容赦しなかった。何か事があると頼りになる」といったぐあいに、高い世評を得ている人物だ。当然、有力者の娘との結婚話が持ち上がる。だが、その直後、ノルウェーから使者がやってきて、かの地にとどまっていた兄が死んで、フルートゥルに財産を残したという。そこで彼は結婚を延期してもらって、ノルウェーに渡る。いささかご都合主義に思える展開だが、これも確執を積み上げていくのに必要なのだ。結果として、フルートゥルはノルウェーで自分の後の人生の不運を拾うことになる。

ノルウェーに着いてすぐ、ハラルド灰衣王の母親で魔性といわれていたグンヒルドに目をつけられ、彼女の寝間に招き入れられて2週間を過ごす。この試験期間は先代の后には満足のいくものだった。おかげでフルートゥルは国王の臣下に列せられ、寵を得る。(次回に続く)

2016年4月7日木曜日

やはりそうか

そここうしているうちに、アメリカ大統領候補ドナルド・トランプも色あせるようなニュースが世界を揺るがしはじめている。「パナマ文書」の流出で明らかになった、世界中の要人たちの資産隠し疑惑である。
そして、当方のブログにネタを提供してくれるかのように、アイスランドの首相が辞任した。

アイスランド首相、シグムンドル・ダーヴィズ・グンロイグソンは、前に自分に対する疑惑を否定した嘘もたたって、ぐずぐず言い訳などせず、あっさり辞任した。
やはりそうか。「死なないもの、ただひとつ、死後の名声」はしっかり生きているのだ。世界一早く非を認めて辞任したことで、多少なりとも名誉は保たれたわけだ。
前の首相をつとめた女性政治家、ヨハンナ・シグルザルドッティルが彼の辞任を強く求めたという。ちなみにこのヨハンナは同性婚を実行していることでも知られている。
前に書いたように、例外もあるが、アイスランド人は姓を持たず、父称の前の部分が自分の名前になる。辞任した首相は「グンロイグルの息子、シグムンドル・ダーヴィズ」ということになる)

アイスランドネタのついでというか、映画『最後の一本』に悪乗りして、アイスランド料理の「牡羊の睾丸のゼリー寄せ」を紹介しておく。

hrútspungar(「牡羊の」+「袋」)
ふだん食べる料理ではない。特定の季節の風物のようなものだ。昔の農民は、食料にする羊を秋の終わりに屠り、保存食にしておいて、春になって動産たちの活動がさかんになるまで、食いつないできた。冬至も過ぎ、気候的にはいちばん厳しい1月から2月にかけての時期は、昔の暦でþorriソルリと呼ばれ、この時期、昔をしのんで「þorrablótソルリ季の生贄」という特別料理を食べるのが今ではならわしとなっている。肝臓や血を材料にしたソーセージ、羊の顔の燻製などのあいだに、この「牡羊の睾丸のゼリー寄せ」が並ぶ。

「ならわし」と言ってみたが、意地悪い見方をするなら、非農民である都市部の人たちがファッションとして、洗練された形にしたものとも言える。19世紀ヨーロッパ全土に広まった民族覚醒の気運が作らせた「伝統的風習」だということはわかっている。エリック・ホブズボウムの『創られた伝統』の典型例だ。それでも、一世紀以上、続いていれば、もう立派な伝統と言えなくもないが。


日本でもいつの日か、「恵方巻き」や「ハロウィーン」が伝統行事と名乗れるようになるのかな?

2016年4月4日月曜日

死なないもの、ただひとつ、死後の名声

前回の映画『最後の一本』から続く。
この映画、じつはドキュメンタリーに見せかけて作ったコメディではないか、とわたしは疑っている。「ペニス博物館」の創始者シッギが演出と主演を兼ねて。そうなると、あの疫病神と化したアメリカ男さえ、どっかから探してきた見栄えのしない役者に思えてくる。だが、こんなにありえない人物は、ドナルド・トランプと同様、アメリカなら大いにありうると思うしかない。

ドキュメンタリーにしても、ノンフィクションにしても、ただ事実を垂れ流してできるものではない。ある構想のもとに、必要な場面をうまく配置して、ストーリーを作って・・・何のことはない、やっぱりフィクションではないか。ただ、登場するのが神話的人物たちではなく、実在するおっさんたちだという事実が、『最後の一本』をドキュメンタリーたらしめているだけだ。

映画の冒頭で箴言が読み上げられる。~財産である家畜も、家族も、自分自身も、死ぬと決まってる。だが、死なないものがある。それは死後も残る名声だ。~これがこの映画のコンセプトになっていることは見ていくうちにわかる。

その言葉の出どころを現代アイスランド語綴りの形で掲げると

Deyr fé,
deyja frændur,
deyr sjálfur ið sama:
en orðstír
deyr aldregi,
hveim er sér góðan getur.
(家畜は死ぬ、一族の者たちは死ぬ、自分もやはり死ぬだろう。だが、名声は、自分で勝ち得た名声は、決して死にはしない)

Deyr fé,
deyja frændur, deyr sjálfur ið sama.
Eg veit einn,
að aldrei deyr:
dómur um dauðan hvern.

(家畜は死に、一族の者たちは死に、自分もやはり死ぬだろう。死なないもの、ただひとつ--それを私(最高神オージン)は知っている--死後それぞれに下される名声だ)

  『エッダ詩』(Eddukvæði) の一章『高みにある人の言葉』(Hávamál) より

アイスランドの古代詩に依拠するまでもない。いつの時代も、どれだけこんなことに煩わされてきたか、オスという種族は。
男たちが自分のモノを博物館に寄贈したいというのは、自分の名前を残したいがためだ。博物館のコレクションを完成したいと願うシッギにしても、そういう野心と無縁ではない。

十数年にわたる映像が映画の場面に使われている。その間、アイスランドではいろんなことがあった。アメリカ駐留軍がついに去ってくれた。アイスランドで身の安全を守られていた元チェス・チャンピオンのボビー・フィッシャーが亡くなった。バブル状態のアイスランドを金融危機が襲い、国家経済が破綻して、その影響はヨーロッパにもおよんだ。続いて、エイヤフィヤッラ氷河の下で火山が噴火し、噴煙がヨーロッパの空を覆って航空路を妨げた。



どれもこれもただ過ぎ去る。だが、死なないもの、ただひとつ、死後の名声。

2016年4月2日土曜日

映画『最後の1本』

『最後の1本』という映画を紹介する。アイスランドを舞台に、カナダ人の映像作家が制作したドキュメンタリー映画ということになっているが、アイスランド流ブラックユーモアが遺憾なく発揮され、コメディ映画に仕上がっている

今のところ、そのDVDTSUTAYAで借りられる。新作から早くも準新作に落ちていて、さらに旧作に転落して棚から消えてしまうのも時間の問題だ。ということもあって、急ぎ話題に上げておく。
加えて、アメリカ大統領選挙がヒートアップしている今、その注目人物ドナルド・トランプという、アメリカに少なからずいる「オス」タイプを体現するアメリカ男も登場していて、そのばかばかしさが無害なればこそ楽しめるのです、この映画は。今が見る旬かもしれない。

アイスランド北部、もう少しで北極圏に届く海辺の町フーサヴィークは二つのもので知られている。ひとつはクジラ・ウォッンチングの基地として、もうひとつは「世界唯一」を誇る「ペニス博物館」だ。
コレクションの主、シッギことシグルズル・ヒャルタルソンは長年かけて哺乳類のオスの生殖器官を集めてきたが、その数は増える一方で、とうてい自宅に収容しきれなくなり、専門の博物館を作って展示することにしたのだ。
小はハムスター、大はマッコウクジラ、レア物としては絶滅種のホラアナグマにいたるまで、アイスランドの陸上・水中に生息する哺乳類の「モノ」を網羅するにいたった。けれども、ありふれた1種類だけは入手できないでいた。霊長類ヒト科のオスのそれである。人間のモノとなると、本人の法的承諾なしにいただくわけにはいかないからだ。

こんなものを集めているからといって、シッギは変わり者でもなんでもない。根っからの教育者だ。21世紀にもなって、あいかわらずタブー視される男根について、何のわだかまりもなく見て、知って、体得してもらうことで、偏見を取り除けるのではないか、と。首都に近いアクラネスの高等学校で歴史を教えるかたわら、アイスランドの野生動物、ホッキョクギツネとの共生を訴える本を書き、歴史書を翻訳することにも同じだけの情熱を傾けている。
エディンバラ大学でラテンアメリカ史とスペイン語を修得しただけあって、バルトロメ・デ・ラス・カサスの名高い著作『インディアスの破壊についての簡潔な報告』を訳し終えたいと思っている。自分のコレクションの完成と並んで、この課題も人生の最終目標となっていて、最終的にそのどちらも達成する。
落ち着いて信頼できる人柄のシッギは、穏やかで温かい家庭を築いている。

さてそこに、死後、自分のモノを寄贈したいという人物が名乗りを上げてくれた。老齢の今では想像するのも困難だが、その男パウル・アラソンは、若かりし頃は功名心にはちきれんばかりで、冒険と女に明け暮れた自慢話を人生の勲章としている。

その5年後、つぎの提供希望者が名乗りを上げる。大西洋の向こうのアメリカの、さらに向こうのカリフォルニア州で牧場をやっているトム・ミッチェルという、一見マッチョだが、自分を心底信じきれてなさそうな目をした男である。

映画はこの二人を平行して追っていく。
一方のアイスランドの元カサノバはいつになったら死んでくれるのだろうか。
対するアメリカ男は、自分が「ペニス博物館」のヒト科の収蔵品の一番乗りになるためなら、生きているうちに切り取ってもいいと思い始める。

この男の自分のモノに対する偏執狂的こだわりは、しだいにシッギにとって悪夢となっていく。「エルモ」という愛称で呼び、その名声を高めてやるのだと言って、先っぽに星条旗のタトゥーを彫りつける。展示ケースを自分でデザインする。はては博物館のオフシーズンはエルモをアメリカに返してもらいたいと言うにいたって、さすがの温厚なシッギもこの男を厄介払いしたいと思うようになる。
だが、彼の妄想はとどまるところを知らず、「エルモ」をネタにしたテーマパークを作るだの、コミック本で活躍させるだのと言って寄越すだけでない。「なま」エルモにコスプレ衣装を着せては、写真をメールで送りつけてくる。文字通りの疫病神になりはてていた。

シッギは自分の健康に不安を抱える身でもあり、万が一のことを考えて、自分のモノを博物館に寄贈するという書類にサインした。

そうこうするうちに、ついにパウル老人が亡くなった。享年96歳。じつはここ数年、自分のモノが急速に縮んでいくことを案じていた。シッギもそこのところは気にかけていた。というのも、ヒト科のモノは最低12.7cmとすると規準を定めているからだ(この数字は歴史文献にもとづいている)。ともかく蓋を開けてみるまでだ。

待望の品は無事、容器に納められた。贈答品のように青いセロファンにくるまれ、きれいにリボンをかけられて、前々から指名を受けていた執刀医、ピエトゥル・ピエトゥルソンの手によってシッギに引き渡された。この晴れの時を祝して医師は自作の詩を用意し、その場で吟じてみせた。しっかり韻を踏んでいて、リズムが快い。

冬の凍てつく道を運転して、貴重な贈り物を自宅まで運んでいくと、シッギはいつもの作業台に神聖な器を安置した。どことなく酢漬けニシンの容器に似ていなくもない。蓋を開け、モノを台の上に伸ばしてからノギスで計測する。文句なしの逸物


原題はThe Final Member20144月公開。
制作はカナダ人映像作家、Jonah Bekhor Zach Math
https://www.youtube.com/watch?v=sZMaheZ_Iy0


ペニス博物館は今ではレイキャヴィークに移転して、シッギの息子のヒョルトゥル・シグルズソンが館長をつとめている。
http://www.phallus.is/en/

(この映画の日本語字幕に出てくる人名の読み方があまりにデタラメなので、この紹介文では妥当な読みに変えてある)