2017年7月31日月曜日

永遠の夏休み

ずっと昔、といって、もう若いとはいえなくなっていた頃、知人と話をしていて、何のはずみか、わたしは自分のありかたをこう表明してみせたことがある。
「〈永遠の夏休み〉と言ったらいいのかなあ」
その場で口をついて出てきた言葉だった、〈永遠の夏休み〉。
それが、一人二人を介した伝言ゲームを経て、当の本人のもとに戻ってくると
「ふん、いいねえ、〈毎日が日曜日〉なんだって?」
そういう言い回しに化けていた。

〈永遠の夏休み〉と〈毎日が日曜日〉の間には、天と地ほどの隔たりがあるだろうに。
少なくとも、わたしにはそのように思われて、返事に窮した。

知人たちからすると、どっちにしたって、
「はん、いい身分だこと」
という話でしかなかったのだろう。



思えば高校時代、わたしは窒息寸前の自分をただ流れ漂わせるしかない毎日を送っていて、夏休みに入ってようやく、自分の意のままに航行でき、安全な港に停泊することができた。
そんななかで、わたしは視線を可能なかぎり彼方にやった。海があれば、水平線のずっとずっと向こうに目をこらす。視界をさえぎる山があれば、そのさらに先を凝視する。世界はこんなに光り輝いているのだもの。
上田敏の訳で生徒たちの頭に植えつけられた、カール・ブッセの詩句「山のあなたの空遠く、幸さいはひ住むと人のいふ」など蹴散らすまでだ。

今日を明日につなぐ必要はなく、自分の時間を区切られることもなく、労働と休憩を強いられたり分かたれたりすることのない世界。


わたしの〈永遠の夏休み〉の背後には、そんな非日常的な風景があった。