2016年7月9日土曜日

黄毛のアン(3/3)

そこで講師の男が言う。
「そりゃそうだ、急にそんなことを言われても、すぐには決められないね。どうだろう、これから皆でドライブに出かけるのは。ネッカー川の川べりにいい店があってね、こんな観光客だらけの場所とちがうものを見るのも面白いんじゃないか。万年学生もいっしょだ」

京都の鴨川は、町なかを過ぎると川べりはどんなふうだろう。ハイデルベルクの町から離れたネッカー川は、だだっ広い河川敷きが手つかずのままだった。そういう寂しい場所まで来ると、川べりに停泊している船からわらわらと犬が出てきた。ブリーダーをやっているのだろうか。
居酒屋はその近くにあり、外の木陰では、椅子やテーブルが誘いかけていた。そこにわたしたちは落ち着いてビールを飲んだ。
そこでは世界の平らかな一部分が地味に展開されているように感じられた。--万年学生。人の押しかけない空間。人知れず営まれる生活。夕暮れの静謐。
アンにとって、そういう状況は負と見なされたのか、何度、講師から念を押されても、スペイン旅行に同行することはできないと返事した。

アンをめぐる男たちは現われては消えた。寄宿先のリビングでのお茶に招いて、品定めがなされた。
どこでどうやって知り合ったのか、イラン出身の男は無条件にパーレビ国王を賛美し、それと同じくらい空っぽの熱意でアンをくどいて、みごとに撥ねつけられた。
一度は、本命候補の孫請け候補くらいにはなる男をアンは見いだした。アメリカ人の軍属で、まぎれもないアイルランド系だ。当時はハイデルベルクの近郊に米軍のベースがあり、週末、非番の兵士たちが町に遊びに来ていた。きっとそういうひとりだったのだろう。ジムは夜のビヤホールからアンに連れられてやってきた。わたしはその夜、外出しなかった。
リビングでお茶を前に会話をしていても、いっこうに話がはずまなかったが、それよりも何よりも、口のなかに何かが詰まっているような、彼のアメリカ式発話が聞きとりにくかった。
「ちょっと、口の中のピンポン玉、取り出してしゃべってほしいんだけど」
わたしの辛辣な口調を、ジムは大型犬のような鷹様さで受け流した。アンにとっては、言葉をかわすというそれだけのことが心地よく感じられたのだろう。それまでは「外国人と話をしていても、いまひとつ心が通い合わないんだわ」と内心こぼしていたのだと思う。
わたしは早々に自室に引き上げたが、新米のカップルは、明かりを消したリビングに長くとどまっていた。

アンの心は、ドイツ語の勉強よりも、故郷のことのほうが大きく占めるようになった。ある日、今日は買物に行ってきたいから、授業はお休みするわ、と言って、近くの商業都市マンハイムへ出かけた。ハイデルベルクとは路面電車でつながっている。
午後遅く、たくさんの袋を抱えて意気揚々と帰宅したアンは、リビングのコーヒーテーブルに戦利品を積み上げてから点検していった。大半は故郷の人たちにあげるおみやげだった。
「これは従兄弟のケヴィンにあげるの、これは昔の同級生のブレンダンに」と言いながら、スーベニアの品々を確認しているうちに、ショルダーバッグのなかをさぐって顔色を変えた。
「ああっ、ない。ないわ。そういえば、あのときよ。電車で隣の人とおしゃべりしてて、いろいろ見せてあげてたとき、包みを出したまんま座席に置き忘れてきたんだわ。ああ、何てこと!」
「何だったの?その置き忘れてきたものって」
「パンティ4枚。15マルク」
わたしはプッと吹き出すところだった。ところがアンは舞台俳優のように頭を抱えこむポーズで決め、「ああ、ああ」と大げさに嘆いてみせた。
こみ上げる笑いを何とか押しとどめようと、わたしは両手で自分の頬を引っ張り下ろしながら、「それは残念だったね」と言うのがせいいっぱいだった。

サマーコースは終了試験で終わりとなった。試験はごくやさしく作ってあった。学生たちが Sehr gut と銘記された記念品たるトロフィーを、それぞれの国に持ち帰れるよう配慮がなされていた。だが、アンは「不可」をもらってしまった。

2016年の今しも『ブルックリン』という映画が話題になっている。アイルランドからニューヨークに渡ったアイルランド娘が、かの地ですてきな青年にめぐりあい、そこで幸せな家庭を築くはずだったところに姉の訃報を受け、故郷に帰る。今度はアイルランドという国と同胞たちのなかに、今まで気づかなかった魅力を見いだすことになり、自国で新たな人生を築いていく。そういうストーリーのようだ。
今ごろアンはたくさんの孫たちに囲まれて、自分の人生はこれで良かった、と思っていることだろう。その映画を見て、主人公を自分に重ね合わせ、感慨にふけっているのかもしれない。
「若いとき、わたしはドイツでモテモテだったわ。年配の大学教授から南欧の旅に誘われるし、ペルシャの王族に求婚されるし、先祖が同じアメリカ人も捨てがたかったわ。でも、何たって、そのおかげで地元ゴールウェイの男たちもまんざらではないとわかったんだから、それだけのことはあったって言えるんじゃない?そんなこんなでドイツ語がてんで身につかなかったのはもったいなかった。けど、ちょっとくらい寄り道をしたり、失くし物をしたりすることはあるわよ。それが人生ってもの」

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