2017年1月4日水曜日

マイケル・ブース『限りなく完璧に近い人々』

デンマークの話題を出すからには、例の本のことを語らずばなるまい。
マイケル・ブース『限りなく完璧に近い人々』(黒田眞知訳・角川書店・2016

猛烈におもしろい本だ。北欧と北欧人について少しでも体験があるならば。
著者は言わずとしれた食のジャーナリスト。家族をつれて日本で食の旅をするノンフィクションで知られることになった。
イギリス人ではあるが、妻の母国デンマークで暮らすうちに、疑問にとらえられる。統計によると、幸福度においてデンマークが世界一だという。自分が日々体験しているこの×××なデンマークが?
そこで彼はあらためて北欧なるものを探る取材をしていく。
北欧の食は褒められたものではなく、語るに足るほどのものではない。そこで、デンマークを始めとする5か国の、それぞれの国民性の味のほどを比較考量する探求に乗り出すことになった。
ときにはマイケル・ムーアばりの体当たり取材を試みて、読者にサービスすることもあるが、根幹は饒舌につぐ饒舌。それぞれの国のことを深く語れる粒ぞろいのインフォーマントをそろえ、読者は少しだけ奥座敷に通されたような気分を味わえる。繰り出される軽妙な語りも、確かなデータと知性に裏付けされている。
この本はいわば〈アナトミー・オブ・北欧5カ国〉。そういう気取ったことをやりたがるのがイギリス人だ。

本書の紹介文としては、訳書が出るずっと以前、南ア在住のアーティスト、長田雅子氏が自身のブログで書いている記事にまさるものはない。全5回
これほど世界情勢への影響が希薄なエリアの本の邦訳が出ることになったのも、著者の知名度の高さもさることながら、長田氏の紹介文があまりにおもしろく、秀逸だったからにちがいない。訳書のタイトルも氏の紹介しているまま。

ということで、わたしのほうでは、この本に触発されたおしゃべりをほんの少し。

北欧に共通するのが、高い税金に支えられた社会基盤だが、著者がよく知るデンマークでは、皆、高い税金に大いに賛成しているという。そこには特有のからくりがあって、成人人口の過半数が公共セクターで働いていたり、公的な経済援助を受けているので、その財源が減っては困るからだ。
ところが、というか、だから、出費するさいはできるだけ税金の介在しない「闇」を利用する。「状況に応じた倫理観」とやらにしたがって、個人同士で取り引きする。だって、自分はちゃんと所得税を納めているのだから、という立派な言い訳も用意している。
それどころか、ずっと働くことなく社会保障制度を名人芸のレベルで使いこなしている人たちもいるという。

デンマークらしさを表すとされる「ヒュゲ」。(わたしとしては、「なごみ」がその意に近いと思っている)。ともかく内向きに心地良いものとされている。国旗もその仲間で、「すてき」をアピールするためにやたらに使われるのが、著者の気に障る。
(日本にあてはめるなら「和の精神」かもしれない。ほら、「和」の小物を添えてやると、「すてき」って言われるじゃない)。
ことを荒立てないよう、その場の空気をなごやかにたもつよう強要しているとしか思えないヒュゲを、著者はついには憎むようになる。

アイスランド人は金融バブルで、略奪者(バイキング)という自己イメージに沿って、海外資産を買いあさった、とある。(納得)。

ノルウェー人は豊富な油田から得られる富を、もともとそこにあるからこそ守るべきものと理解し、堅実な運用に終始してきた、とある。(ノーベル平和賞受賞者の選定でよくこけるのは、堅実な運用を心がけたのに、現実のほうがこけてしまって...ということだろうか)。

「人を羨む、堅苦しい、勤勉、自然を愛する、静か、正直、正直でない、外国人恐怖症」と自己認識するスウェーデン人。エレベーターで知らない人と乗り合わせるくらいなら、最上階まで階段を昇るほうを選ぶとか。そんなスウェーデン人に対して、著者はじっさいにエレベーターに乗りこむ実験で確かめる。どうやら噂のとおり。

デンマークとアイスランドの関係については思い出すこと多々。
わたしの記憶では、アイスランド人はデンマーク人をとことん嫌っていた。MB氏によると、それはどうやら、歴史を部分的に誇張・捏造した教育を受けたアイスランド人の意見だったらしい。今の韓国人の日本観がそうであるように。新しい歴史認識では、スウェーデンが言語と文化をフィンランドに強要したようなひどいことはなかったという。
でもまあ、1970年代当時は、アイスランドでは小学4年からデンマーク語を学ばされていた(さもないと広い分野の教材に接することができない)のだが、アイスランド語からすればデンマーク語は、古ノルド語である由緒正しいアイスランド語が劣化した言語でしかない。それよりも何よりも、あの奇妙奇天烈なデンマーク語音声は口にするのもはばかられる。だから、アイスランド人は絶対にデンマーク語の音声を真似ようとせず、綴り字そのままに発音していた。

余談を続けると、アイスランド大学文学部のデンマーク語コースは不人気だった。だが、それなりに、観光ガイドとしてのスキルを上げたいとか、アイスランドでデンマーク語教師になりたいという、明確な目的を持った、ちょっと年かさの女性たちが受講していた。デンマーク語コースの教員たちは、アイスランド人が身につけてしまった恐るべきデンマーク語発音(いうなれば日本人のカタカナ英語)を矯正することを最優先の課題にしていた。

MB氏曰く、「デンマーク語のアクセントで話せば何語でもおかしく聞こえる。デンマーク語でさえ」

ナチス政権下で北欧の国々はそれぞれにドイツと関係を持つことになった。
デンマークはドイツに占領され、スウェーデンは中立を標榜しながらドイツに協力し、ノルウェーはナチス傀儡政府を立てた。フィンランドとアイスランドはそれぞれスウェーデン、デンマークの領土だった。
この立ち位置がその後の各国民同士の感情にニュアンスを投げかけている。こういう部分も著者の饒舌のおかげで苦味がやわらいで、とりあえずは冗談として受け流せる。

MB氏の本から離れて、アイスランドがらみのエピソードをひとつ披露しておく。
第二次大戦中、ヒトラーが演説していて、アイスランドについてこう絶叫した。
「純粋なアーリア人の住むあの孤島を、絶対にわれわれの手で守らねばならぬ!
これは現地でさんざん笑い物にされて、戦後もずっと言い伝えられることになった。
「純粋なアーリア人だって?なーに言ってるんだか。俺ら、ノルウェーとアイルランドの混血だけんね」
ナチスのデンマーク占領を奇貨として、アイスランドは独立を果たした。

そのほか、著者が言及していない重要事項は、デンマーク語の数字の読み方だ。フランス語のように20進法を使い、ドイツ語のように1の位を先に言う。あまりの理不尽さに、これで本当に数学の勉強ができるのかと思ってしまうくらいだ。

この図は、日独仏も含めた5つの国で97をどう言い表すか、顔の指標とともに示してある。
最上段のスウェーデン式はストレスなしの涼しい顔。最下段の狂乱状態の顔がデンマーク式だ。
デンマーク語で97をどう言うか、数式にしてもらっても、ますますわからなくなりそうだ。言葉として言えば、「七と、半足らずの五掛ける二十」が九十七のことなのだ。地団駄踏みそうになる。

デンマーク語の記数法は頭では理解しているつもりだが、わたしの脳はどんな神経をもってしても、理不尽な数に直面すると、口の筋肉を動かしてくれないのだ。

デンマーク人も自分たちの記数法がややこしいことを知っているので、相手が外国人だとわかると、わかりやすい方式(この図の日本式)で言ってくれるようになり、MB氏は不便を感じないでいるものだから、記数法の説明をしないほうを選んだのだろう。

そのほか北欧五カ国で、「何時半」という言い方の癖はみごとに一致団結している。「1時半」というときは「半分2時」というように。これなら運動神経を働かせば使いこなせる。


本書の最後のほうで著者は結論らしきものにいたる。
「専門家によれば、幸福の鍵の一つは、人生を主体的に生きられるかどうかにあるそうだ。自分の運命を自分で決められる贅沢、自己実現を達成するという贅沢が、できるかどうかだ」。

素面になってみれば、まさにその通りだ。この一言の上に、あらゆるものをてんこ盛りした分厚い本を書くことになったのも、著者の疲れを知らない躁の気質のなせる業だろう。

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