2016年3月23日水曜日

カーレン・ブリクセン③版権問題その他

「カーレン・ブリクセン記念館」の館長アスムッセンさんは、会話のなかでひとつのことを厳しく指摘した。
「そうやって日本でブリクセン/ディーネセンのいろんな翻訳が出ても、どれひとつとして版権を取っていません。版権はルングステズルン財団が持っていて、翻訳権料の収入が記念館の運営費にあてられているのですよ」
わたしは、工作舎の編集者から聞きかじっていたわずかな情報を総動員して、何とか答えた。
「日本がベルン条約を批准したのが遅く、70年代初めのことで、それ以前に出た外国の本については、版権なしで翻訳できるということらしいです」

法律的には問題がないとはいえ、日本がハンデを背負っていた時代ではないのだから、何とかしたいものだ。版権の問題はいつも心の片隅にあった。その後『冬物語』と『運命綺譚』の担当をしてくれた筑摩書房のO西氏に、版権を取ることはできないものかと聞いてみた。そのときのやりとり。
「どの出版社も版権を取っていないのに、うちで取ったりしたら、ほかから悪く言われますよ」
「そりゃまたたいへん日本的な話ですな」

こういう話は面白がってもらえるだろうと、会話体のままマリアネさんにつたえた。
そうこうするうちに自分なりにできることを考えた。自分の訳本をまとまった部数、自分で買い取って記念館に送り、販売コーナーで売って収益としてもらうことにしたのだ。

安野光雅氏がブリクセン記念館を訪れたことを書いているなかで、『冬物語』についてふれているが、きっと記念館で入手したにちがいない。

『冬物語』の奥付を見ると、1995115日発行とあるが、本が出たときの記憶は抜け落ちている。神戸に甚大な被害をもたらした阪神淡路大震災の衝撃があまりに大きかったのだろう。続いてオウム真理教の一連の出来事があって、日本に暗雲がたちこめるかのように思われた。

同じ年、PR誌の『ちくま』にブリクセン記念館訪問の記事を載せてもらったことがきっかけとなって、ガーデニング雑誌の『ビズ』から、記念館とその庭を取材したいという打診があった。この申し出をマリアネさんはこころよく受けてくれて、取材スタッフたちをふだん公開していない部屋にまで通してくれた。


『ビズ』1995盛夏号に載った特別取材記事「カーレン・ブリクセンの世界」は、大判のページに上質な写真がふんだんに使われ、ブリクセンが見たらさぞや満足するだろう仕上がりとなっていた。わたしの書いた文章がその隙間を埋めた。




 

 

 


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