だれにでもあるだろう、繰り返し見る同じパターンの夢が。
わたしの場合、飛行機に乗るため空港に向かっているという夢だ。乗り継いだ電車はなぜかまちがっている。空港オフィスに電話連絡すべくダイヤル盤を回す(のちにはプッシュボタンを押す)が、なぜか指がデタラメに動いてしまう。あせりでいっぱいになりながら、すべては空回りするばかりで、絶対に空港には行き着けない。
何度このような悪夢に襲われたことか。目を覚ますと疲労困憊している。
この夢はまちがいなくある体験から来ている。
アイスランドでの3学年を終え、学位試験にも無事通って、わたしはその夏を「ヨーロッパ」のあちこちで過ごす予定だった。
アイスランド最後の数日は友人の家に泊めてもらった。出発の前夜はお別れパーティになって、皆で痛飲した。わたしは高揚気分に浮かされて、紙片に日本語で思いつくまま書き散らした。
その夜、どうやって寝床に入ったかおぼえていない。翌朝目覚めると、自分が飛行機に乗り遅れたことがわかった。この時間では昼前の便には絶対間に合わない。驚愕で目の前が真っ白になった。だが一方では内心の声が、大丈夫だから、とささやいていた。ともかく、レイキャヴィークの中心部にある Loftleiðir-Icelandair のオフィスに駆け込んで、カウンターの若い女性に告げた。
「Ég svaf yfir.(寝過ごしてしまって)」
すでに状況がわかっていたらしく、彼女は笑って、翌日の便に振り替えてくれた。今ではありえない話だろう。
友人がバスの窓からわたしの姿を見かけてびっくりした。「どういうこと、ヒロミったら、もう発ってるはずだのに!」
その夜は緊張のあまり眠るどころではなかったのは言うまでもない。
それまでわたしは、いろいろと困った事態に陥っても、助けの手をさしのべてもらっていた。アイスランドでもデンマークでも、そのほかの旅先でも。その都度、自分なりに猛反省したものだ。わたしはノンシャランにはできていない。根っこのところは几帳面なので、できればそう見えないようにしている。
だからこそ、あの出来事はわたしの心の奥底で生きていて、ときおり悪夢となってよみがえるのかもしれない。
オリヴァー・サックスの自叙伝『道程』(早川書房 2015大田直子訳)を読んでいたら、ウィスタン・ヒュー・オーデンがその種の夢を見るというくだりがあってうれしくなった。サックス先生は長らくこのイギリス詩人と親しくしていたのだが、神経科の臨床医としては、やはりこういうエピソードは逃すわけにいかないようだ。
「彼は繰り返し見る夢について話してくれたことがある。列車に乗り遅れまいと、ひどく動揺して急いでいる。人生も何もかもが、その列車に乗ることにかかっている。しかし次から次へと障害が現われ、パニックに追い込まれて声の出ない叫びを上げる。そして突然、もう手遅れで自分は列車に乗り遅れたが、それはちっとも問題でないと気づく。この時点で急に解放感を覚え、それが至福となり、夢精して目覚める・・・」(p.246)
なるほど、詩人においてはそこまで至るのか。
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