2016年3月20日日曜日

カーレン・ブリクセン①そもそもBlixen(ブリクセン)blogとは

「ブログ」という広場に初めて出ていき、自分がどう歩き、走ればいいか、足運びを確かめるべく、ウォーミングアップのつもりで投稿を重ねてみた。そしてわかった。最初から予定していたトピックで記事を書いているつもりでも、連想が横すべりして、予定外の道へそれていくのだ。それがさらに連想を生む。まさに自分がネットのなかで自分自身のネットを形成しつつある。こういうこともブログの醍醐味なのかもしれない。

ブログを始めるにあたって、自分の名称「イタロ」の由来を書いておいた。が、かんじんのブログ・タイトルについては説明しないままだった。しかるべき話題に入るときに書けばいいのだからと。今、その時になった。

Blixen(ブリクセン)blog

Karen Blixen (1885-1962) カーレン・ブリクセン、デンマークを代表する作家の一人。デンマーク語・英語の両方で同一作品を著すという、現代では珍しい二重言語作家。作家名として「カーレン・ブリクセン」と「イサク・ディーネセン」を同等に使っていた。小説家ではなく、物語作家と称すべき。今の時代では較べる相手とてない独自の作風を実現した。

こうしてわたしがブログを始めたのも、ブリクセンについて徹底的に書いておかねばならないと思ったからで、当然ブログ・タイトルにその名を冠することになった。

ユーロを導入していないデンマークでは、自国の通貨はもとのままデンマーク・クローネだ。その50クローネ札の図柄にブリクセンの肖像が使われている。現在のレートをあてると850円足らず。






コペンハーゲンの近郊ルングステズルンに「カーレン・ブリクセン記念館」 がオープンしたのが1991年。そこはカーレンが生まれ育った由緒ある屋敷で、のちにアフリカを引き上げて帰国してから終生暮らした場所だ。
地所の広い庭の片隅、古いブナの巨木のかたわらに彼女の墓所がある。自身を神話化することにたけた人だったが、自分の没後、そこが自分を参詣する人たちの社(やしろ)となることを願い、それはかなえられた。
古い館が改装され、ブリクセン/ディーネセンを知るための展示がなされて、記念館という聖地が仕上がった。それから四半世紀がたつ。
Karen Blixen Museet - The Karen BlixenMueum

記念館の内部 ブリクセンの書斎 ⓒイタロ
ブリクセンの墓所 ⓒイタロ
ブナの古木の下に眠る ⓒイタロ

「ここを訪れる日本人が少ないのはなぜでしょう?デンマークにはおおぜい日本人観光客がやってくるというのに」

19945月、わたしが初めて記念館を訪れたとき、初代の館長をつとめていたマリアネ・ヴィーレンフェルト・アスムッセン氏からそう聞かれた。

館長に就任するまで美術史分野の仕事をしてきたマリアネさんは、日本に流出したヨーロッパ絵画のリサーチで来日し、神戸で過ごしたこともある。

「それは日本でブリクセンの名前が通用していないからです。Dinesenという--それもおかしなディネーセンという呼び方の--名前で定着してしまっているのです」とわたしは答えるしかなかった。


この初対面のときからマリアネさんと、ブリクセンをめぐっての交流が始まることになる。この作家についていくらでも語っていい--それは日本では望んでもなかなかできなかったことだ。

「カーレン・ブリクセン記念館」初代館長さん ⓒイタロ


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