前ブログより続ける。
それにしても、こういうあせりの夢を見たあとの疲労感は尋常ではない。身体の動きがままならないと、日頃やりなれていることをするだけでくたびれ果てるようなものだ。
多和田訳では「寝台の中で自分がばけもののようなウンゲツィーファー(生け贄にできないほど汚れた動物或いは虫)に姿を変えてしまっている」。
まず、腹部は細い板状で、曲げられる作りになっている。つぎに、背中は固く、丸みがあって、仰向け状態から身を起こすのに難儀する。さらに、両側には小さな脚がずらりと並んでいる。その脚でもって天井に張りつくことができる。
そんな体でグレゴールは、起床に始まる自分のふだんの細かい動作ができないことをいちいち実感する。
若い人に重しをまとわせて、老人の体を体験させると、その大変さをわかってもらえるそうだ。でも、虫の姿になったら何ひとつできやしない。
日常生活を拒む体の動きにくさ、生きにくさが『変身』という小説の主眼としか言いようがない。
以下はわたしの思いついたこと。「グレゴール幼虫説」とでもしておこう。
グレゴールがどんな虫に変身したにせよ、それは成虫ではない。幼虫だ。もちろん、ぶよぶよと太った芋虫などではない。どうやら、図鑑の写真や説明をもとに、甲虫類に属するシデムシの幼虫と仮定してみると、かなり納得がいく。体長は3㎝くらい、黒光りして、見るからに固そうだ。昆虫なので、脚は6本しかないのだが。さすがに芋虫などとちがって、すばやく走るそうだ。その名のとおり、小動物の死骸を食物としている。
だが、グレゴールは満たされない幼虫の時間を過ごし、空洞のサナギとして何ものにもなれないまま生命を終える。
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