2016年3月22日火曜日

カーレン・ブリクセン②皮切りのつもりで

カーレン・ブリクセンについてのブログ記事を書くにあたって、前もって構成を決めているわけではない。それにまた、作家としてのブリクセンについては、当方の訳書の末尾につけた解説がすでに十分語っているので、今さら繰り返すつもりはない。
とはいえ、それらの解説は何らかの形で、だれにでもアクセスできるようにしておきたいとは思っている。
特に1992年、筑摩叢書として出してもらった『アフリカ農場――アウト・オブ・アフリカ』の末尾の、『カーレン・ブリクセンをめぐって』と題する解説は、まとまった作家論となっているはずだ。

カーレン・ブリクセン本の渡辺洋美訳を掲げておく。
Den afrikanske farm / Out of Africa
『アフリカ農場』(工作舎1983
『アフリカ農場――アウト・オブ・アフリカ』(筑摩書房1992
Vinter-Eventyr / Winter‘s Tales
『冬物語』(筑摩書房1995
Skæbne-Anekdoter / Anecdotes of Destiny
『運命綺譚』(筑摩書房1996

これらはすべて英語版とデンマーク語版の両方に依拠した翻訳である。
じっさいにブリクセンが書いた手順のとおり、まず英語版からから訳し、つぎにデンマーク語版をたどりながら、本来彼女が意図したと思われる文脈に変えていった。
ただし、後年になると、ブリクセン自身、母語であるデンマーク語のほうを優先するようになり、加えて英語では昔の力を発揮することができなくなった。そこで、デンマーク語版が先に作られたことが判明している何篇かは、わたしのほうでも、デンマーク語版から訳したあと、英語版でたどってみる、というプロセスを実行した。

ブリクセンの言語の問題については、上記の訳本の「解説」で再三説明している。にもかかわらず、「渡辺訳はデンマーク語からの訳」と繰り返し言われてきた。だから、わたしもここで再度これまでと同じことを言っておく。

人は単純な図式とスローガンを好むものだとつくづく思う。

                    *     *     *     

前回のブログ記事は前口上のつもりで書いたが、そのあとどういう切り口で続けたものか、いろいろ考えた。ずっと過去のことから始めるか、トピックを立てて語るか、それとも今現在のことを話題にすべきか。

やはり最新のことから、単刀直入に始めることにする。わたしがブログを始めるきっかけとなったのがそれだったのだ。
「アイザック・ディネーセン」の作家名のもとにこの作者の作品を訳出してきた横山貞子氏が、201512月、自身の新訳として「イサク・ディネセン」の作家名のもとに新潮社から『冬の物語』を出したことに端を発する。
ここではその訳書についての論評は控えるが、つぎの点だけは指摘しておきたい。

「訳者あとがき」で、この新訳が先行訳の『冬物語』に助けられたとして謝辞を述べているなかで横山氏は、この先行訳はデンマーク語からの訳だなどといい加減なことを言っているのだ。
引用-「1995年には Winter's Tales が、カーレン・ブリクセン著『冬物語』として、渡辺洋美氏訳で、やはり筑摩書房から出版された。デンマーク語から訳されたこの本は、今回、英語版によって『冬の物語』を訳出するにあたり、大きな助けになった。ここに記して御礼申し上げたい」(p.360)-引用終わり

『冬物語』(筑摩書房刊)のあとがきでわたしはブリクセンのふたつの言語をどう扱って訳出したか書いている。それだのに、横山氏はなぜかそのことを全面無視しているのだ。氏はご自分に都合のいい部分だけ先行訳からつまみ食いしたということなのだろうか。

当然のことだが、言語は本来のテキストの理解、解釈の根幹をなすもので、そこがしっかりしていればこそ批評へと展開していける。ブリクセン/ディーネセンにおいては、言語の問題は根幹にかかわる部分であり、今後も当ブログで取りあげていく予定だ。
『アフリカ農場――アウト・オブ・アフリカ』(筑摩書房1992)は、横山氏訳の『アフリカの日々』に対する全面的批評になっていて、そのことは氏もよくわかっているはずだ。だからこそ、このもうひとつの訳については完全無視を通しているのだろう。


以下に『冬物語』(筑摩書房刊)のあとがきの該当ページを画像の形で掲げておく。







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