2016年4月19日火曜日

髭の生えない男、ニャウル

『ニャウルのサガ』全159章のなか、第20章に達してようやく、主人公のニャウル本人が登場する。

「ニャウルという男がいた。(このあと父親の名、母親の名とその出自、さらに彼女のなした息子たちの名が列挙される)。ベルグソール丘に屋敷を構え、ソーロルヴ山にも地所があった。財産に恵まれ、顔だちは整っているものの、ひとつだけ妙な点があった。髭が生えなかったのである。法にかけては並ぶ者がなく・・・」

劇的言辞などない語り口のなかで、突然、「髭が生えなかったのである」と言われると、聴き手は噴き出しそうになるが、それより早く、続く謹厳な描写によって笑いを覆い消されてしまう。

このようにニャウルが描写されて数章置いてから、彼の息子たちのことが語られる。
「彼(長男のスカルプ・ヘジン)は栗色の縮れ毛で、美しい目をしていた。色白で鋭い風貌ではあるが、鼻が曲がり、出っ歯のため口もとは醜かった。頭のてっぺんから爪先まで戦士であった」
英雄、かならずしも輝かしいものだけでなりたっているわけではないのだ。

ニャウルに髭のないことをあげながら、作者(無名)は決して主人公を戯画化しようとしているわけではない。先見の明のあるこの賢人は、思慮と慈悲にあふれる助言を与え、それが物語を押し進めていく。と同様に、髭のないことも十分、物事を動かす契機となりうるのだ。

ニャウルと親しい間柄にあるグンナルという男が、物語の副主人公のような役割をする。グンナルの妻はハルゲルズという絶世の美女で、早くも第1章で、彼女がのちにファム・ファタールとなる素地が暗示されている。まだ少女だったハルゲルズを見て、叔父にあたるフルートが不吉なことを言うのである。
「あの子供はじつに美しい。この美貌が多くの男を苦しめることになるだろう。しかし、どうしてまた、泥棒の眼がわれわれ一族のなかにまぎれこんだものやら」
まさしく、グンナルに嫁す前、彼女は二度も夫を死に追いやる形で失っている。

このハルゲルズがささいなことから、ニャウルの妻に難癖ををつける。
「あんたとニャウル、破れ鍋にとじ蓋ってとこね。あんたの爪ときたらどれもこれも亀の甲みたいだし、ニャウルのほうは髭なしとくるし」
なじられたベルグソーラは、招待した側だったことから、おさえにおさえたあてこすりを言うにとどめる。
「そのとおりだわ。でも、わたしたち夫婦はたがいのあらさがしなんかしませんからね。それよりも、あんたの前の夫のソルヴァルドは髭があったのに殺されたじゃないの」

その後、長く続く両家の争いは、このとき腹を立てたハルゲルズが口火を切ることで始まる。最初のうちは、殺す対象は奴隷だったのが、しだいに自由民へとエスカレートしてゆき、そのぶん賠償金の額も上がっていく。

そんななかハルゲルズは、自分の屋敷にたまたま立ち寄った乞食女の一行からニャウル一族の消息を聞き出す。
「ニャウルの屋敷の下男たちは何をしてた?」
「全員見たわけじゃありませんがね、下男のひとりは糞尿を車に載せて、野っ原の丘まで行ってましたよ」
「何をしようというつもりかしら?」
「それで牧草がよく育つようになるとか」
「ニャウルも抜けてるところがあるわね。いつも他人に助言を与えているくせに」
「どういうことですか?」
「いいこと、ニャウルは自分の顎に糞尿を撒けばいいのよ。そしたら、ほかの男みたいに髭が生えるのに。これからあいつのことは髭なし爺いと呼んでやるのよ。息子たちのことは糞髭小僧って」

「髭がないこと」はかように、ついには当人の死でもって終わらせるほかない運命を紡ぐのにひと役かっているのである。



(アイスランド語の固有名詞をカタカナ表記するにあたって、問題が多々あり、いずれ詳しく解説したいと思っている。今のところは、なるたけ変化語尾を省き、単純な音にすることをこころがけている)

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