琥珀をめぐってひとつのことを語りたいのだ、じつは。でも、その核心の情報は、一行に収まるものでしかない。「ほう、そうかい」と言われて終わってしまいそうだ。そこでまた回想や妄想で土塁を築くことになる。
宮沢賢治が琥珀に閉じ込められたトカゲに恐竜を見たからといって、今の時代、『ジュラシック・パーク』級の小説や映画のおどろおどろしさを前にすると、賢治の驚嘆など、ため息ほどの迫力しか持たない。ただ、想像力をそそる点では同等だ。
太古の樹脂が石化してできた琥珀は、昔も今も世界各地の海底に眠っていて、海の気まぐれによって浜辺に打ち上げられてきた。
今では色ガラスの破片を琥珀粒とまちがえないようにしなくてはならない。昆虫を封入した人造琥珀だってある。琥珀の神話にまつわる香気はとっくに失せてしまった。
今では色ガラスの破片を琥珀粒とまちがえないようにしなくてはならない。昆虫を封入した人造琥珀だってある。琥珀の神話にまつわる香気はとっくに失せてしまった。
小学生の頃、買い与えられた本に、「秘密の小箱」というソ連の児童書があった。この本でわたしは琥珀というものを知ったはずだ。ネットで調べても、その本がだれの作かということにさえたどりつけない。けれども、今でも挿絵までうっすら憶えていて、なぜか独ソ戦争がらみの舞台背景があるとわかっているのは、その話が自分のうちに長くとどまって、のちに得た歴史事実によって肉づけされたからだろう。
こんな話だ。主人公の小学生の女の子は、夏休みの何日か、母と兄とともに町を離れ、バルト海沿岸の海水浴場で過ごす。これはすんなり入り込める設定だった。わたしも小学校時代の夏休み、日本海の海の家で、きょうだい・いとこ達とともに合宿生活を送ったものだ。
物語の女の子は、バルト海の浜辺で見つかると聞かされていた琥珀のことで頭がいっぱいだった。自分で琥珀の粒を見つけて自慢してやるのだ、と。だから、泳ぐどころか、浜の砂を掘りかえしてばかりいた。
でも、いくら探しても琥珀は出てこない。そのかわり、金属製の小箱を掘りあてることになった。煙草の葉と巻紙を湿気らせずにしまっておくための密封容器のようだ。開けてみると、巻紙の小さな紙片にメッセージが記されていた。「愛する妻へ、息子へ、娘へ」と始まっていて、決戦の直前、家族に宛てて急いで書きつけたものらしい。女の子はそれを、戦死した父が自分たち家族に書いた手紙だと確信する。
残りの筋はうろおぼえだが、女の子は母親から、亡き父は煙草を吸わなかったと聞かされても、何かと理由をつけて、それが父親の残した手紙だと思うようにし、小箱のことは自分だけの秘密にした。
残りの筋はうろおぼえだが、女の子は母親から、亡き父は煙草を吸わなかったと聞かされても、何かと理由をつけて、それが父親の残した手紙だと思うようにし、小箱のことは自分だけの秘密にした。
小箱のメッセージには本来、独ソ戦争で父親を失くしたすごい数の子供たちに宛てたもの、という配慮がこめられているのだろう。