2019年12月18日水曜日

さまよえる宇宙船〈アニアーラ〉はどこへ行く?


ハリー・マーティンソンの宇宙叙事詩『アニアーラ』のことをもう少し。



1954年に刊行された当時、この作品は北欧でちょっとしたセンセーションを巻き起こした。
死に瀕した地球を脱出するしか人類の生き延びる道はないという設定はもとより、新天地に向かうはずの宇宙船が軌道を逸れて宇宙空間をあてどなくさまよい、船内の乗客は死に絶えていく、といった救いのない物語も、暗い終末感に満ちている。
しかも韻文で書かれた文字通りの叙事詩である。

番号を振られ、区切られた連が、旅路をたどるように第103連まで続くのだが、早くも第3連で〈アニアーラ〉号は事故に遭い、以後、乗客たちは先の見えない世界で生きていく定めを負わされる。

船内には、なつかしい地球の思い出にすがりたい人たちのために〈ミーマ〉が用意されていた。
それは「アニアーラに設置された科学装置で、心と魂を持つ。死の旅へと出発した乗客や移民者たちを慰めるため、故郷ドリス(旅立ってきた美しい星、地球)などの美しい映像を見せ、女神として崇められる(訳注より引用)」。

だが、〈ミーマ〉は絶望にうちひしがれた人間の心に対処しきれず、壊れてしまう。
人々はカルトまがいの宗教にすがり、あるいは各自の寿命を終えるばかりである。

最終の第103連で宇宙船は果てしない年月の後、石棺の姿をさらして琴座に到達する。

   103
明かりを消し安息を願った。
僕たちの悲劇は終わった。
使者としての権限とともに
折りにふれ、銀河の海に映し出されてきた僕たちの運命を返還した。

琴座の姿を求めて、減速することなく
一万五千年の間、宇宙船は物体と人骨と
ドリスの森から持ち込んだ乾燥植物で充たされた
博物館のように突き進んできた。

巨大な石棺のもとで
しばらくは荒寥の海を航行してきた。
そこは日の光から永遠に切り離された宇宙の夜陰
僕たちの墓をとり巻くガラスのように透き通った静寂。

ミーマの墓所を囲み、輪になって力尽き
罪なき腐葉土に還った僕たちは
星々からの厳しく刺すような痛みからも贖われた。
そしてニルヴァーナの波はすべてを貫き広がっていった。

(児玉千晶訳・2014年思潮社刊p.269-270

この連の原文はバラッド律の形式に従って韻を踏んでいる。



映画化された『アニアーラ』では、この最終場面がじつに印象的な忘れがたい映像で迫ってくる。

598万1407年ののち、石棺と化した宇宙船は琴座の星雲のなかに突入していく。まっしぐらに進んでいく先に、ひときわ美しい惑星が見えてくる。
それは青い地球の姿にほかならない。

2019年12月10日火曜日

グレタ・トゥーンベリふたたび


国連の気候変動枠組み条約の締約国会議(COP25)がマドリードで開催中ではあるが、それについて、その問題については立ち入らない。

このところわたしはグレタ・トゥーンベリのネット動画を捜しては、彼女のたたずまいを興味津々で見ていた。
公的な場で英語を使って発言している姿ばかり映し出されるが、母国語のスウェーデン語で発言する時はちがう表情を見せるのだろうか?彼女の家族はどんな風にふるまうか?

そうこうするうちに、図書館にリクエストしていた『グレタ たったひとりのストライキ』(羽根由訳・海と月社・201910月刊)の順番が回ってきて、この話題本を読むことになった。

そこで、書評からイメージされる内容と少し離れたところから突っこんでみることにする。



本の著者として、グレタも含めたトゥーンベリ一家4人の名前が掲げられている。
内容はといえば、グレタの実際の発言と、公的な場でのスピーチのほかは、母親であるオペラ歌手、マレーナ・エルンマンの語る一家の物語だ。

マレーナ自身、6歳の時からずっと舞台で歌ってきたプロである。オペラ歌手としてはメゾソプラノの声域で、主役にはなれないまでも、常にヨーロッパ各地のオペラハウスと契約を結んでいる
グレタの父スヴァンテ・トゥーンベリは俳優である。

長女のグレタは11歳のとき深刻な拒食症に陥って、アスペルガー症候群と診断され、その後、3歳年下の次女にも似たような徴候が出るにいたって、両親は難しい課題を背負わされる。その苦労は並大抵ではなかったろう。
そんな状況でもマレーナは、二人の娘のそれぞれにそなわった特異な才能を高く評価し、励まし続けてきた。

アスペルガー症候群の人は、高い知能を見せる一方、自分の流儀にこだわるあまり、対人関係がうまくいかず、意志をつたえられないことが問題を引き起こすのだ。

マレーナは、オペラその他の「上位文化--ハイカルチャー」の世界で舞台に立ってきた自分と、夫で俳優・舞台監督の経歴のあるスヴァンテのことを「文化労働者--カルチャーワーカー」と位置づける。
 カルチャーワーカーとして最終的に目指すべきものは、新しい観客を見つけることだ。

ヨーロッパ各地でスポットライトを浴びるマレーナが最初の子供(グレタ)を身ごもったのを機に、スヴァンテは「世界トップクラス」の妻を支えるべく、自分の仕事を捨て、「主夫」となって、グレタと3年後に生まれたベアタの面倒をみてきた

一家4人が乗れる大型車で旅回りする生活が続いた。
 私たちの日常は、ほかの家族とちがっていた。
 私たちの日常は、あまりに素晴らしかった。

グレタの流暢な英語は学校仕込みなどではなく、ヨーロッパ各地での生活に必須の言語として身につけたものと思われる。
いずれにせよ、スウェーデン語と英語は方言程度の差しかないと言っていい。

グレタは、見たものをそのまま記憶にとどめる映像記憶という特殊な能力があり、憶えている外国の地名を真逆の綴りで唱えてみせられる。

当然ながら、学校にはなじめず、理解ある教師による個人授業で知識を身につけた。
父親のスヴァンテも、子供の頃はアスペルガーの傾向があったようだ。

自分流を押し通そうとする娘たちは、家庭内ではとかく両親とぶつかり合うことになる。そこで、他の人たちの目がある場所で楽しい時を過ごす、というやり方が選ばれた。
 こうして私たちは、問題をクローゼットに押しこみ、その解決を棚上げした。中身より外見を優先させた。それこそ、ふつうの人がやることだと私たちは学んできたから。

他の北欧諸国からとかく〈偽善者〉と見られがちのスウェーデン的メンタリティ全開だ。
両親のフェイスブックは、すてきな生活を送る(現実の問題などないものとする)自分たちに寄せられる〈いいね!〉の数を誇っていた。

そんなマレーナとスヴァンテに、長女グレタがしんそこ脅威を感じている温暖化危機の問題を突きつけてきたのである。
娘の真剣な訴えに両親は感化されるようになり、「学校ストライキ」へと行動を広げていくグレタを見守り、支えた。

マレーナの「新しい観客を見つける」という信念でもって、今のグレタの活躍に道筋がつけられたと言えるかもしれない。
ベアタについても同じだ。次女も舞台で歌うようになっている。

トゥーンベリ一家の4人は舞台にあってこそ自分を発揮できるらしい。


原作のタイトルは
Scener ur hjärtat
『心に思い浮かぶシーンの数々』といった意味だ。
初版の表紙はマレーナの顔写真が全面に使われている。文字通りの著者であるし、マレーナ・エルンマンの名前はスウェーデンではよく知られている。




英訳本のタイトルは
No One is Too Small to Make a Difference
『変化をもたらすために未熟すぎるなんてことはない』
ここでグレタの写真が大きく使われているのは当然だろう。何たってグレタ・トゥーンベリのマニフェスト本なのだから。




2019年11月30日土曜日

破滅寸前の地球を脱した宇宙船〈アニアーラ〉


突飛な思いつきではあるが、グレタ・トゥーンベリという若き環境活動家は、60数年前スウェーデンで出た文学作品『アニアーラ』によって今の世に送り出されたのではなかろうか。

前回書いたように『アニアーラ』は当時、北欧全土で衝撃をもって受け止められた。
地球が終焉を迎えるという設定からして、1956という刊行時点では、まだ記憶に新しい、第二次世界大戦と日本への原爆投下、さらに米ソによる核実験、といった出来事を想起しないではいられない。それゆえにこの書は、人類の未来に対する警鐘として、あるいは覚醒を求める予言として読まれた。

とはいっても、この作品を読みこなすのはむずかしい。比喩にくるまれた詩の言葉は深遠で難解だ。

だから、作者マーティンソンが副題としてわざわざ付した、これまた不可解な「時空における人間をめぐるレヴュー(仏語のrevue、つまり歌舞ショー)」という文言には、首をひねってしまう。
これは作者一流の皮肉・反語だろうか?表に見えるものを引っくり返してはどうかね、というような


そこまで深読みしなくても、意外性による演劇的効果をねらった単なる前口上と解すればいいのかもしれない。--臆する必要はない、宇宙空間を舞台とする人間喜劇を楽しんでくれ、とでもいうように。
恐怖と滑稽さは結構背中合わせになっている。

実際、これをオペラ化した舞台劇は、多彩な音楽と、意表をつく演出によって華麗なレヴュー、バラエティ・ショーに仕立て上げられている(らしい)。

ハリー・マーティンソン (1904-1978) 1974年にノーベル文学賞を受賞している。

それからまた年月が過ぎ、『アニアーラ』はひさびさに注目を集めることになった。昨年、スウェーデンとデンマークの合作によって映画化されたのだ。



深遠さを感じとるしかなかった宇宙叙事詩が、壮大なドラマとなってよみがえり、ようやく理解できるようになったのは、わたしにはちょっとした出来事に思えた。もちろん原作の叙事詩は、映画化された人間ドラマとは別物だと承知してはいるが。

筋書きのわかるドラマの形をとると、原作は、それ自体見おぼえある世界に還元されていることがわかる。宇宙空間を漂流するアニアーラ号の数多くの乗客・乗員は、どこまでも人間じみた葛藤やあがきを繰り広げる。
SFという設定のもとではあるが、いつでもどこにでもありそうな光景である。
さらに、船内の人々の大半が白人という状況もあって、ちょうど今EU域内で起きている紛糾ぶりと重なって見えてくるのだ。

日本ではこの映画はSFジャンルとして公開され、どうやら不評のまま打ち切られたようだ。
その理由は十分推測できる。何といっても、救いのない話だからだ。
あるいは、宇宙物としての組み立てが、マニアからすると、緻密さを欠いているのだろう。それよりも、人間ドラマそのものがフェミニスト的視点で描かれているせいにちがいない。だれがそんなものをSF映画に見たがるか!というわけだ。

2019年11月27日水曜日

グレタ・トゥーンベリの作られ方


この時節、こんなタイトルを掲げること自体、安易な便乗ネタと思われてしまいそう。ゆえに、結論とするところから述べておくと--

グレタ・トゥーンベリというスウェーデンの16歳の環境活動家は、その一族から出るべくして出た子孫で、そこには1956年に出版されたハリー・マーティンソンの作品『アニアーラ』が介在しているはず。

--これがわたしの言いたいことである。

『アニアーラ』は、地球の暗澹たる未来を予言する黙示録的作品と言えばいいだろうか。

暴風や火災が荒れ狂い、放射能に汚染された地球は今や終焉を迎えており、人間が生き延びるには、火星に移住するしかない。すでに宇宙船が定期航路について、人々を火星に送り出している。
そんな宇宙船のひとつが〈アニアーラ〉号である。現代の巨大クルーズ船さながら、8千人もの乗客を収容して出発する。

だが、不慮の事故によって航路は狂わされ、船は宇宙空間を漂流していく。不毛な旅路が続くなか、人々は宇宙船を惑星とみなし、限られた生活空間の中でそのときどきの希望にすがって生きていくしかない。


そのように展開していくのだが、物語それ自体はメタファーにあふれる韻文で書かれていて、筋を追うように構成されていない。読者は、難解なイメージに見え隠れする深遠なメッセージを感じとらねばならない。

出版当初、この作品はスウェーデン本国はもとより、北欧全体で衝撃をもって受け止められ、ちょっとしたセンセーションを巻き起こし、カルト本のように扱われてきた。

日本では最近、詩潮社から児玉千晶による邦訳が出されており、版元のサイトではこんな風に紹介されている。

壮大な宇宙叙事詩
放射能汚染された地球から火星へと飛び立った宇宙船アニアーラ号は、不慮の事故により、琴座にむけて永遠に宇宙をさまようことになる――。孤独な航海の物語に、新旧約の聖書や数々の神話を重ね、科学用語や独自の造語を散りばめて創りあげた壮大なる詩世界。1974年ノーベル文学賞受賞詩人の代表作。

ここにグレタ・トゥーンベリがどうかかわってくるのか?
冒頭で結論を見せておきながら、話はさっそくには結論に達しそうにない。

まずは、グレタの父と祖父のどちらも俳優で演出家であることから。

1925年生まれの祖父オーロフは『アニアーラ』が出た頃には演劇の分野で活動しており、まちがいなく当時の熱狂のなかで読んでいたはずだ。しかも、この作品はすぐにオペラ化され、舞台上演されてもいる。
単にあの時代を生きたというだけでなく、地球が終わりを迎えるという不安を、自分の無意識のうちに定着させることになった、と言ったら穿ちすぎだろうか。


それにしても、オーロフと、その息子スヴァンテ、そしてスヴァンテの娘であるグレタの3人は、顔の造作がよく似ている。

中央の男がオーロフ・トゥーンベリ


Greta & Svante

演劇、映画、オペラを職業としている家族には、人前で演じる場があるのが当然なのだろう。グレタは若くしてすでに環境活動家という役割で大活躍している。

彼女のつぎなる舞台は、近くマドリードで開かれる国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議(COP25)。そこでは地球温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」の実施ルールを詰める協議が行われる。

地球温暖化について、わたしはここで何か語るつもりはない。この課題にはあまりに多岐にわたる政治、科学、統計学その他の問題が絡んでいて、何をどう言おうと、自分のイデオロギーの立ち位置を問われずにすまされない。

確かに言えるのは、グレタ・トゥーンベリが地球温暖化に恐怖を抱いている、それが世界にもたらす危機を心から信じている、ということだ。

前回の記事でわたしは、イギリスの詩人クリスティーナ・ロセッティの詩のひとつを取り上げ、「自然」という従わせられない力、という言い回しを使ってみた。そのとき、ふとグレタの存在が思い浮かんだのだ。自然を聖と結びつけてしまう人として。

今グレタに賛同して集まる若者は、あふれるエネルギーでもって、自分たちの価値観を行動に移している。そんななかにあって、グレタ本人は一線を画しているように見える。

Make the World Greta Again! という短いドキュメンタリー映像が、いろんな意味でおもしろい切り口を見せてくれる。--運動というものを作っていくために必要なノウハウ。組織のなかでの役割分担。指導者と協賛者。若者たちが公的な場で放つ激しいメッセージの言葉。それを埋め合わせるかのように、私的な場では極度に軽い言葉を投げかわす。

グレタはそんな若い賛同者のあいだで、楽しげな表情はまったく見せない。自分が心から信じるものだけを見つめている。語調を変えることもない。


2019年11月21日木曜日

風の姿を見た人いる?


風の姿を見た人いる?
たしかに風の姿は見えない。けれど、雨が吹きつけてくるのも、雲が吹き散らされて形を変えていくのも、風のしわざにはちがいない。

「誰が風を見たでしょう」という詞で始まる童謡が自然と思い浮かぶ。幼少の頃、この歌を歌ったり聞かされたりして記憶に刻まれたのだろう。あるいは、母の少女時代のノスタルジーを勝手に受け継いだのかもしれない。

 誰が風を見たでしょう
 僕もあなたも見やしない 
 けれど木の葉をふるわせて
 風は通りぬけていく

 誰が風を見たでしょう
 あなたも僕も見やしない
 けれど樹立が頭をさげて
 風は通りすぎていく

大正から昭和初めにかけての「童謡」隆盛の1例でもあるが、ここで話を日本の童謡の歴史にまで広げるわけにいかない。

この歌は、19世紀イギリスの詩人クリスティーナ・ロセッティが残した童謡を、西條八十が訳し、草川信が作曲したものだ。かならずしも日本語の語調を踏まえているとは言えないものの、親しみやすいメロディが、やさしい歌詞としっかり合わさって、この歌は広く流布した。100年ほど前のこと。『風』という題名で知られているが、ロセッティの原詩にはタイトルさえない。

意外なことだが、本家のイギリスでは、この詩が特定のメロディを得て歌いつがれるということはなかったようだ。

 Who has seen the wind?
 Neither I nor you:
 But when the leaves hang trembling,
 The wind is passing through.

 Who has seen the wind?
 Neither you nor I:
 But when the trees bow down their heads,
 
The wind is passing by.

詩人は、風の姿を見た人いる?見たことないでしょ、と語りかけてから、暗示する形でそれに答える。木の葉が揺らぎ、立ち木が頭を下げるので、風がそこにいるのがわかるでしょう、と。


     

ひと月前の1022日、〈即位礼正殿の儀〉が始まると同時に、古式に則った舞台は思わぬ天の演出を受け、人々を驚かせた。仮にこれが舞台演出の手順どおりのスポットライトであったなら、「あざとい真似を」と言われかねなかったろう。

「自然」という従わせられない力がそれをなした、というところに神のわざを見る--これはクリスティーナ・ロセッティが自身の心で見てとって、平易な言葉で歌いあげる独特の詩の世界だ。

それでなくても「自然」の力は、人間の奥深い感情を呼び起こす。
単なる気象の現象だと理解はしている。それでも、荒天を突き破るように突然、山脈の向こうから強風が吹き始め、雨雲を散らして日差しを呼び寄せ、吹き清められた空には大きな虹がかかっている。
そんな光景を目にすれば、そこには人の理解を越える何かがあるように思えてくるのだ。

天空の風と雲


単なる気象の現象でしかない。雨が降るにしても、風が吹くにしても、日がさすにしても。
とはいえ、雨、風、日差しを生身の自分が体感してみれば、その時その時の感情が呼びさまされる。

その日は朝から雨風ともひどかった。自宅北側の窓ガラスに音をたてて打ちつけてくる。その日は朝から、この国にとって重要な儀式の準備が東京の一画でおこなわれていた。つい、最近ひどい台風が2度も襲来したことに思いをいたしてしまう。
単なる気象の現象でしかないものの、重要な儀式の初日でもあり、この天気では雰囲気も盛り上がらないだろうし、当事者たちには気の毒だ。--わたし自身の認識はその程度だったはず。ともかく北側の窓を打ち鳴らす雨風にうんざりしていた。
そこはさえぎるものもない地上100メートルに位置し、視界の北端からは強風がおやみなく黒雲を送り出し、世界を吹き降りで塗り込めている。

そんななか昼食をとっていると、あたりに明るさが感じられて目を上げた。東に面したベランダに出て空を見渡すと、視界の北端で山なみが見えかかっている。日光三山のある位置からすると少し東に寄ったあたりで黒雲がとれていく。みるみるうちに雲は強風に吹き払われていった。
天気が回復してくれるのはありがたい。今や雲が切れ切れに吹き散らされていく。北の上空には水色の輝きさえ見え始めた。

風の仕事ぶりは手早く確実だった。南の方角に雲を追い立ててしまうと、そこには昼過ぎの時刻の太陽があった。日差しの向かう先の湿った大気中に虹が出現した。これとて単なる気象の現象でしかないのだが。
具体的に言うなら、低い弧を描く薄色の虹が長く伸びていた。虹の左端は〈東京スカイツリー〉の根元から昇っている。

10月22日午後1時過ぎ (c)イタロ



10月22日午後1時過ぎ(c)イタロ


風に吹き払われた雲はちぎれて流れるまま形を変えていく。その形を何かに見立てずにはいられない、人の心は。


10月22日午後1時過ぎ(c)イタロ

「日本が神の国だってことを一瞬だけ信じられるね!」わたしは家人に向かって言った。

それはひと月前、1022日のこと、皇居で〈即位礼正殿の儀〉がおこなわれているとおぼしい時刻、わたしが体験した気象の現象である。自分自身のささやかな心象も付け足してみた。

あの日、皇居で主要な儀式が始まったまさにその時その場に日がさしてきて、東京上空に虹がかかるのが見えたことは、ネットやメディアでさまざまに報じられた。
でも、それが山越えする乾いた強風のなせるわざであることを指摘する人がいないのは残念至極だ。