ハリー・マーティンソンの宇宙叙事詩『アニアーラ』のことをもう少し。
1954年に刊行された当時、この作品は北欧でちょっとしたセンセーションを巻き起こした。
死に瀕した地球を脱出するしか人類の生き延びる道はないという設定はもとより、新天地に向かうはずの宇宙船が軌道を逸れて宇宙空間をあてどなくさまよい、船内の乗客は死に絶えていく、といった救いのない物語も、暗い終末感に満ちている。
しかも韻文で書かれた文字通りの叙事詩である。
番号を振られ、区切られた連が、旅路をたどるように第103連まで続くのだが、早くも第3連で〈アニアーラ〉号は事故に遭い、以後、乗客たちは先の見えない世界で生きていく定めを負わされる。
船内には、なつかしい地球の思い出にすがりたい人たちのために〈ミーマ〉が用意されていた。
それは「アニアーラに設置された科学装置で、心と魂を持つ。死の旅へと出発した乗客や移民者たちを慰めるため、故郷ドリス(旅立ってきた美しい星、地球)などの美しい映像を見せ、女神として崇められる(訳注より引用)」。
それは「アニアーラに設置された科学装置で、心と魂を持つ。死の旅へと出発した乗客や移民者たちを慰めるため、故郷ドリス(旅立ってきた美しい星、地球)などの美しい映像を見せ、女神として崇められる(訳注より引用)」。
だが、〈ミーマ〉は絶望にうちひしがれた人間の心に対処しきれず、壊れてしまう。
人々はカルトまがいの宗教にすがり、あるいは各自の寿命を終えるばかりである。
人々はカルトまがいの宗教にすがり、あるいは各自の寿命を終えるばかりである。
最終の第103連で宇宙船は果てしない年月の後、石棺の姿をさらして琴座に到達する。
103
明かりを消し安息を願った。
僕たちの悲劇は終わった。
使者としての権限とともに
折りにふれ、銀河の海に映し出されてきた僕たちの運命を返還した。
琴座の姿を求めて、減速することなく
一万五千年の間、宇宙船は物体と人骨と
ドリスの森から持ち込んだ乾燥植物で充たされた
博物館のように突き進んできた。
巨大な石棺のもとで
しばらくは荒寥の海を航行してきた。
そこは日の光から永遠に切り離された宇宙の夜陰
僕たちの墓をとり巻くガラスのように透き通った静寂。
ミーマの墓所を囲み、輪になって力尽き
罪なき腐葉土に還った僕たちは
星々からの厳しく刺すような痛みからも贖われた。
そしてニルヴァーナの波はすべてを貫き広がっていった。
(児玉千晶訳・2014年思潮社刊p.269-270)
僕たちの悲劇は終わった。
使者としての権限とともに
折りにふれ、銀河の海に映し出されてきた僕たちの運命を返還した。
琴座の姿を求めて、減速することなく
一万五千年の間、宇宙船は物体と人骨と
ドリスの森から持ち込んだ乾燥植物で充たされた
博物館のように突き進んできた。
巨大な石棺のもとで
しばらくは荒寥の海を航行してきた。
そこは日の光から永遠に切り離された宇宙の夜陰
僕たちの墓をとり巻くガラスのように透き通った静寂。
ミーマの墓所を囲み、輪になって力尽き
罪なき腐葉土に還った僕たちは
星々からの厳しく刺すような痛みからも贖われた。
そしてニルヴァーナの波はすべてを貫き広がっていった。
(児玉千晶訳・2014年思潮社刊p.269-270)
この連の原文はバラッド律の形式に従って韻を踏んでいる。
映画化された『アニアーラ』では、この最終場面がじつに印象的な忘れがたい映像で迫ってくる。
598万1407年ののち、石棺と化した宇宙船は琴座の星雲のなかに突入していく。まっしぐらに進んでいく先に、ひときわ美しい惑星が見えてくる。
それは青い地球の姿にほかならない。
それは青い地球の姿にほかならない。
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