2018年10月24日水曜日

ロレンス・ダレルの季節④


ダレル邸を訪ねることは、わたしの目標や目的にはなっていなかった。旅の行程の途中に、ダレルが住んでいるはずのラングドック県ソミエールがあり、一応そこに立ち寄ることは可能だった。事前の連絡もせず(どうやって連絡すればいいのだ)、さえぎるような門もなかったので、わたしはバイクを引いてその敷地に入っていたというのが現実だ。

その日の朝までわたしは、南仏の古都モンペリエより少し内陸部に入ったあたりの村にしばらく滞在していた。もう少し立ち入った話をすれば、わたしはその村に住んでいた旧友の家に押しかけたのだ。これこそまちがいなくわたしの目的地だった。
旧友はフリーランスの生活を基盤にし、同類のインテリがいつも周りにいる環境を作りあげる男だ。あるいは、同類たちが一時期を集って過ごすギリシャの島に移動してみたり。時代はかけ離れているが、20代のロレンス・ダレルが暮らしたコルフ島の生活がまさにそのようだった。
島嶼部が夏の一大観光地でもあるギリシャは、長逗留する外国人たちに好みの過ごし方を提供してきたし、それは今も同じだ。

南仏の旧友のところでは、ロレンス・ダレルの存在はよく知られていた。直接面識のある人はいなかったものの。それでも、モンペリエからソミエールの町に入ったら、こういうふうに行けばダレル邸が見つかるよ、と教えてくれる人はいた。
実際のところ、わたしはソミエールの町の中央広場にたどり着いて、そこにお約束のように開いている観光案内所で、難なくムッシュー・デュレルの住まう場所を教えてもらえたのだ。遠くの友人たちがそうやって訪ねてくるのはよくあることだったのだろう。

午後もだいぶ過ぎていた。敷地のあちこちに生えている喬木のひとつの根方にわたしはバイクを停めた。


ソミエールのダレル邸(ネットから借用)

かなり年季の入った館ヴィラが敷地の中央にある。それはダレルの3番目の妻、フランス人のクロードのものだったが、妻亡きあと、そのまま居住している、というふうに当時のわたしは理解していた。
今、ネットで確かめると、どうやらもう少し複雑な事情があったようだ。
ともかく正面玄関のドアベルを鳴らすこと2回、中に人の気配がしないので、背を向けて石段を降りていった。と、そのとき、背後でドアがそっと開く音がして、白シャツと短パン姿の小柄な男性が半身をのぞかせていた。その背丈は、すでに読み知っていた情報と符合する。
「お邪魔して申し訳ありません」とまずフランス語で言ってから
「You must be Mr.Durrell.」と続けた。
そのとおりだが、という返事を聞いて、わたしは吸いこまれるように石段を引き返し、自己紹介をした。
「あなたの Prospero's Cell を日本語に訳した者です。たぶんご存じないと思いますけど」
「それは知らなかった。ともかく中に入りなさい」
わたしはバイクのところにもどって、鞄から『予兆の島』を取ってきた

0 件のコメント:

コメントを投稿