2018年2月4日日曜日

映画『湿地』~ アイスランドのツィゴイネルワイゼン(2/2)

この映画の、あるいは原作小説の核心は、『ツィゴイネルワイゼン』のメロディに乗せられた歌詞にあると言っていい。
それは、詩人で小説家のダヴィズ・ステファンソンDavíð Stefánsson18951964の詩作品だ。


この詩が『ツィゴイネルワイゼン』のメロディにうまくはまることを発見したのが誰かはわからない。しかも、人気歌手に歌わせて、ヒットさせているのだ。
そういう事情は今のところ、不明のままにしておくとして、"Til eru fræ"の詩の原文は以下のとおり。下に拙訳も並べておく。

Til eru fræ, sem fengu þennan dóm:
Að falla í jörð, en verða aldrei blóm.

Eins eru skip, sem aldrei landi ná,
og iðgræn lönd, er sökkva í djúpin blá,
og von sem hefir vængi sína misst,
og varir, sem að aldrei geta kysst,
og elskendur, sem aldrei geta mæst
og aldrei geta sumir draumar ræst.

Til eru ljóð, sem lifna og deyja í senn,
og lítil börn, sem aldrei verða menn.


こんな定めを受けた種がある、
地に落ちても、花を咲かせることのない。

岸にたどりつくことのない船のような、
深海色に埋もれた先進工業国のような、
翼を失くした希望のような、
口づけもできない唇のような、
出会えないまま、わずかな夢に
乗り出すこともできない恋人たちのような。

生まれたとたんに死ぬ詩がある。
大人になることのない幼児がいる。


前回の記事の末尾にあげた YouTube 動画の作成者は、この歌詞の意をくみ取って、近年の難民問題を念頭に置いて、ネットで拾えるなかから写真を選んできたものと推察できる。
ヨーロッパを目指して海を渡ってくる難民の悲劇はまだ続いている。

それにしても、往年の人気歌手、ホイクル・モルテンスの歌いっぷりは、つやめき過ぎて、ポマード臭が鼻につく。
ホテルのラウンジだろうか、ダンス・フロアで熟年カップルたちがこの歌に合わせて踊っている動画まである。(どんな気分で踊るのだ?こんな重たい歌詞を聞きながら)。
口直しに、アイスランドの男子高校生たちによる合唱をあげておく。(リンクはここ)。

現実のアイスランドで、個々の人の遺伝子情報の詳細が明らかにされたとしても、その先にあるのは、負の遺伝子を背負った者たちにどう対処するかという問題だろう。
それ以前に、人の心の闇は、遺伝子のデータでわかるものではない。


『湿地』という作品は、小説であれ、映画版であれ、現実の社会問題を突きつけて考えさせようという意図はない。にもかかわらず、向き合う者に、自分の心の深みにまで降りてゆかせる力がある。

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