2018年1月27日土曜日

大阪外国語大学デンマーク語学科

2017年は日本とデンマークが外交関係を樹立して150年たつということで、こんな機会でないと日の目を見ないマイナーな催し物が企画されていた。
そのひとつ、「日本とデンマーク--文書でたどる交流の歴史」が秋に東京の国立公文書館で開催された。
それをネットで紹介するページに
〈大阪外国語大学デンマーク語学科設置に関する文部省原議(1966)〉
という項目が掲げられているのが目にとまって、わたしは出向いてみる気になった。
世界に言語が数あるなかで、どうしてデンマーク語などというものが正式学科として新たに設置されたのか、いまさらながら知っておくのも冥土のみやげになるやもしれん。

秋といっても日差しはまだ暑いものの、外で過ごすには絶好の日よりだった。

問題の文部省の文書は笑えるくらい貧相なものだった。紙ぺら1枚に手書きされている。大きさは小型ノートくらい。万年筆書きの細かい文字で、日本におけるデンマーク語の重要性が羅列してある。ただそれだけ。
デンマークの言語学者イェスペルセンに言及しているのは、十分納得できる部分ではあるが、そのほかのデンマークの瑣末なエピソードと同等に並べられているだけ。
どっちにしても、だれかを説得する気があるとは思えない無味乾燥な文面だ。中央官庁というところでは、こんな紙片ひとつで物事が決まっていくのか?
だが事実、大阪外国語大学に新たにデンマーク語学科が設置されたのだ。それを裏付けるのが、この粗末な紙ペら1枚ですって?!!

それにしても、あまりに細かい文字はガラスケース越しでは読みにくく、書き写すのはあきらめた。スマホのカメラで撮影しておきたかったが、監視員がすぐ横に立っているので実行不可能。

当時、国立大学は一期校と二期校とに分けられ、国立大学を受験する機会が2回与えられていた。だから、本命の一期校の入試に落ちた者が、不本意ながら「すべりどめ」の二期校で妥協するケースが多かった。今なら偏差値が決め手になるのだろう。
わたしの場合、「どんなことだって独学で勉強できるのだから、実学・技術としての語学を身につけるのは悪くない」という理由を用意していた。ワグナーに心酔していたことについては、口にするのをはばかった。

15人の定員のデンマーク語科に合格した面々は、一堂に会してみると、みな競うように「自分は一期のどこそこに落ちた」とカミングアウトし合った。

心を白紙にして、初めての言語・文化を学び始めるにしても、設立間もない学科は、悲しいほど、教える側がそろっていなかった。
どんなに拙劣な学校でも、学ぶ側に目的意識と意欲があって、それに応えようとする教師がいれば、そこは充実した学びの場所となるはずだから、手さぐりで学校らしくしていける余地はあったろう。


だが、とりあえず集められたデンマーク語科の教師のなかに、ひとり人格的に問題のある講師がいた。彼のある行為がのちに糾弾を受けることになり、プロ運動家がそれを火種にして、大学闘争に燃え広がるよう煽った。
そのひとことで足りるのではないか。大阪外大のけちな大学闘争などというものは。

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