昨日久々に記事を上げることができ、さっそく言い訳しなくてはならないが、このところの空白状態にはちょっとした事情がある。パソコンで日本語入力するための「親指シフト」が突然使えなくなってしまったのだ。といっても、「ローマ字入力」をあたりまえに使っている人たちには何のことかわからないだろう。
「親指シフト」というのは、ワープロ全盛期、富士通が自信をもって広めた合理的な日本語入力方式で、これに慣れてしまうと、万人向けのローマ字入力がまどろっこしく感じられる。そのくらい手になじんでくれる快適な方式だ。思い浮かぶ言葉がじかに文字に置き換わっていくといっていいかもしれない。ストローク数はローマ字入力の半分以下ですむので、当然入力スピードも早い。
だが、富士通の外では普及しなかったため、「親指シフト」はマイナーな方式にとどまってきた。あるいは、熱狂的支持者に支えられて生き延びているともいえる。
だから、この25年間、日本語を書くのに使ってきた方式が、パソコンの画面から消えてしまったのは、筆記に使ってきた道具を失くしてしまったとか、両手が使えなくなったというのと同じくらい狼狽する事態だった。
ここでわたしのパソコン歴を語ってみたいところだが、どれもこれも、機械の進化の過程でちょっと翻弄されたことがあるというだけの話だ。
そもそもワープロを始めるさい、「ローマ字入力」に対する疑問から「親指シフト」を選んだ--このことがあとあとまで影響した。富士通のワープロ専用機を使いこなしていたため、パソコンになかなか切り替えられなかった事情やら何やらは、無駄に涙ぐましい記憶となっている。
そもそもワープロを始めるさい、「ローマ字入力」に対する疑問から「親指シフト」を選んだ--このことがあとあとまで影響した。富士通のワープロ専用機を使いこなしていたため、パソコンになかなか切り替えられなかった事情やら何やらは、無駄に涙ぐましい記憶となっている。
最初のパソコンWindows98では四苦八苦した。「不正な処理をしたので終了します」といった高飛車な文言が画面に現れるたびに「ヒーッ」と悲鳴を上げながら、操作の基本は何とか習得した。日本語を書くのは、あいかわらずワープロ専用機だった。
それからまもなくのこと、Microsoft IMEを使わなくても日本語を「親指シフト」で入力できるという話を聞いて飛びついた。
それは「親指シフト」の生みの親、富士通が開発したJapanistというソフトで、簡単に言えば、Windowsパソコンに装備されている入力方式に「親指シフト」方式をかぶせて使えるようにしたものだ。
それは「親指シフト」の生みの親、富士通が開発したJapanistというソフトで、簡単に言えば、Windowsパソコンに装備されている入力方式に「親指シフト」方式をかぶせて使えるようにしたものだ。
Japanistの試作ソフトに手応えを得て、バージョン1、さらに2と買い換えて17年、インターネットを立ち上げるブラウザも、マイクロソフトのIEからキツネ紋のやつに、それからグーグル・クロームに変えて落ち着いた。その間、日本語入力は、意識するまでもなく「親指シフト」でこと足りた。
そこに突然の不具合である。これまでパソコンに関してはいろんな事態に対処してきたが、今回は困り果てた。何しろ「親指シフト」自体、マイナーな分野であり、ネット検索しても、これといった解決方法が見つからない。自分なりの判断で、いったんJapanistをアンインストールして、またインストールし直してみたがだめだった。
最終的に富士通のサポートに電話して問い合わせ、そのアドバイスにしたがって、Japanistの最終バージョン2003をインストールすることで解決した。
ここまで、自分でもいやになるくらい、長々と書いてしまったが、それにはわけがある。サポートの人のひと言に感じ入ったのだ。
「これまでずっと2002版が使えていたのは偶然だったのでしょう」
IT技術を専門とする人も「偶然」という言葉を説明に使うことがあるのか!
なぜか自分が、今まで「偶然」という〈觔斗雲〉のような乗り物に乗って、自在に飛び回っていたように思えて、不思議な気分だった。
そういえば、これまでわたしは自分の身に起こる「偶然」を、当然と言わないまでも、ありがちなこととして受け止めてきたような気がする。
そういえば、これまでわたしは自分の身に起こる「偶然」を、当然と言わないまでも、ありがちなこととして受け止めてきたような気がする。
前回、稲富正彦をめぐる人たちとの遭遇について書いたように、それは求めて得られるたぐいのものではなく、その時その場にいたがゆえに遭遇したのだ、と言うしかない。
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