あの春、家の向かいに見える山の小高いところに、満開の桜がぽっかり浮かび上がっているように見えた。常緑樹の濃い緑で埋め尽くされた中でひときわ目立っている。そこまで行ってみようということになって、初めてあの尾根道に足を踏み入れたのだ。
山腹に山桜の大木が点在する場所までたどり着いたものの、肝心の花は、蔓の追手を逃れて、はるか高いところに咲かせているので、山道から見上げてもほとんど見えなかった。
ともかく、桜が私たちをこの山に引き寄せることになった。藪にふさがれた道を切り開き、大木にからみついた蔓植物(ツルグミが一番たちが悪い)を切り払った。
その道は今ではすっかり通いなれた。二十数年前の開発ブームのとき切り開かれ、都会の人間に売却された尾根一帯は、もとの植物体系を失って、笹とツルグミの密林となり、夏はその上をクズとヤマフジが覆いつくして、蔓の敷物と化す。そんな土地ではハイキングを楽しむどころではない。
それでも、ところどころに、山の要かなめをなすように、照葉樹の大木と桜の古木が残っている。開発以前からそこにあった樹々。そういう場所は、蔓を取り払ってやると、高い樹冠の明るい天井が出現し、落ち葉が積もった地面は下生えもまばらで、広々とした心地よい空間に包まれている。山歩きに出て、蔓植物を切り払わずに帰るようなことはなかった。自分たちが歩くことで山の風通しをよくしているのだと思うと満足感をおぼえた。
そういう山歩きに出たときのことだ、イタロを拾ったのは。
(『いたちのイタロのいたところ』より)
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