六月の国民投票で心ならずもEU離脱を決めてしまったイギリスの狼狽ぶりは、今となってみれば、ほほえましい出来事だった。晴れの場でつまずいて、ぶざまなころび方をしてしまったが、だいじょうぶ、何でもない顔をして、威厳たっぷりに取り繕えばいい。
それとは比べ物にならない衝撃が昨日、世界中を駆けめぐった。アメリカ合衆国でまさかのトランプ大統領誕生。
その可能性がしだいに色濃くなっていくあいだ、アメリカと関わりのないわたしにまで重苦しい空気がひた寄せてきた。
まさか、まさか、最近、5回連続物として載せたブログのタイトルに「トラ」の文字が入っていたせいではなかろうな。
2001年9月11日の衝撃以来のことと言っては、比較する対象が違いすぎるが、あのときはあふれる報道を追う一方で、「そうか、これが21世紀というものか」と、妙に落ち着いた心もちで受け止めたのを思い出す。
それからちょうど15年。21世紀の年月が醸成した成果はこれだったのか。「これ」が何を意味するのか、自分でもわからないまま思う。
絵画のイメージがふっとあらわれた。ダリの絵だ。あれはたしか『内乱の予感』という題ではなかったか。
調べてみると、描かれた当時は『茹でた隠元豆のある柔らかい構造』という題名だったのを、迫りくるスペイン内戦への不安がまさしく的中したので、ダリ本人が『内乱の予感』に改めたという。
そのほか、ブリューゲルの有名な絵画『イカロスの墜落のある風景』が思い浮かんだ。
ギリシャ神話に登場する若者イカロスは、翼をつけてもらって飛翔するうちに、不注意から海に墜落してしまう。その絵の片隅に、海面から突き出した足が小さく描かれ、イカロスが墜落したことがかろうじてわかるようになっている。それ以外は、陸地で人々が日々暮らす情景が描かれている。農夫は畑を耕し、羊飼いは羊の群れを見張り、海辺では釣り人が糸を垂れている。だれひとりとしてイカロスの墜落を見てやしない。イカロスが死のうがどうしようが、世界に何の変わりはない。
今回のトランプ事象が、この絵を反転させたイメージとして思い浮かんだのだ。
陸地は群衆で埋まり、てんでに新しい王を讃えて声を張り上げている。そのエネルギーが海中から怪物を引っ張りあげて、天空の座にすえる。それが何物かはわからない。
昨日の重苦しい気分はそんな幻想を誘った。
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