中学時代の思い出をもうひとつ。
その実験校の中学では、〈プログラム学習〉という教え方が試された。わたし自身、ゲームに熱中するほうだったので、楽しくこなしたはずだ。
その学校で何よりも特別だったのは、地元大学で招聘したアメリカ人英語教師が、大学だけでなく、付属中学でも教えたことだ。わたしが中学2年のとき、その学年のみ。当時としては別格の扱いだったにちがいない。その年度に限って実施された。それ以前も以後も、ネイティヴ教師による英語授業などという「無駄」な試みはなされることはなかった。いかにせん、モチベーションが不足していたし、受験勉強の足しにならなかった。
わたしがその付属中学校に入学して最初の担任となったのは、2年間のアメリカ留学から帰ったばかりの若い英語教師だった。アメリカ生活のうきうきした気分をまだ残していて、それが熱意のみなもとにもなっていた。
初めて英語に接する生徒たちを前にして、何よりもまず音声を重視し、初歩の段階だからこそ、音そのものを口移しに学ばせようとした。Yes, it is. たったそれだけを「イエス・イリエース」に聞こえる音にして反復させ、聞こえるままを口にすると、「そう、それでいい」と励ましの言葉をかけてくれた。
だが、同級生のなかには、教科としての英語をすでに習得してきた者もおり、それぞれの出身小学校で優等生だったにちがいない彼らは、「イエス・イリエース」などという屈辱的な音を発することができなくて、カタカナそのもので「イエス・イット・イズ」と返した。教師の当惑した顔を今でもおぼえている。素直に音を聞きとってもらいたいのに、「そんなことをしてないで、早く勉強させてくれ」という秀才児たちの決意は固く、S先生は返すすべがなかったのだろう。
そう、その中学校2年目の1年間、わたしたちはミスター・オルソンに教わることになった。若いS先生ではなく、もうひとりのベテラン英語教師が新任のアメリカ人教師の授業に同席した。〈ネイティヴ教師プロジェクト〉は、おそらくこの専任教師の授業実験だったと想像する。1964年の東京オリンピックへの期待感も高まっていた頃だ。
ミスター・オルソンはアメリカ合衆国オハイオ州の出身。自分の苗字を漢字で表記してもらいたいという要望にこたえて、少々無理やりではあるが、「於けることが尊い」として「於尊」という漢字を当ててみた。1回目の授業のとき、そういった説明があった。
於尊先生のファースト・ネームは記憶にない。教えられなかったはずはないから、わたしの頭にすんなり入ってくれる名前ではなかったのだろう。
見た目は、アメリカ標準からすると華奢なほうだったと思う。ほかの先生たちより目立って背が高いとか、肉付きがいいという感じは全然なく、頭頂が薄くなりかけていることで、若くはないというという印象はあった。
授業が毎週あったのか、それとも月に1、2回程度のことだったのか。授業の中身のことをいうなら、「英会話」などという遊びではなかった。
授業が毎週あったのか、それとも月に1、2回程度のことだったのか。授業の中身のことをいうなら、「英会話」などという遊びではなかった。
あの時代、ミスター・オルソンには、赴任先としてほかにいろんな候補があったろうに、何らかの思いがあって、日本の地方都市の大学を選んだのだ。ひょっとしたらラフカディオ・ハーンを読んでのことだったのかもしれない。ハーンの教授法をすでに知っていて、それを踏襲していたのではなかろうか、と思えるふしがある。たいがい独自にテキストを用意して授業に臨んでいたと思う。前もって配布したテキストを、ゆっくり読み上げ、生徒に読ませ、かみくだくように解説し、簡単な設問を出して生徒に答えさせた。
わたしがよく憶えているのは『スリーピー・ホロウの伝説』だ。ハロウィーンの季節に合わせて選ばれたテキストだったろう。物語にはハロウィーンの民間伝承がからんでいる。
今とちがって、当時も、その後もずっと、ハロウィーンの行事など、「何のこっちゃ」の世界だったのだが。
今とちがって、当時も、その後もずっと、ハロウィーンの行事など、「何のこっちゃ」の世界だったのだが。
ともかく、その伝説はワシントン・アーヴィングが再話したものだった。今、原文自体を見ると、とても中2の読解力では太刀打ちできそうにない。きっとミスター・オルソンは原作を思い切り噛み砕いて、中2が読んでわかるテキストを用意してくれたのだろう。
主人公は学校教師イカボッド・クレーン。赴任先のスリーピー・ホロウの地であれこれ体験していくなかには、恋のさやあてなどもあって、あまり子供向けの話とはいえない。だが、ぞくっとする雰囲気には引きつけられた。最後に主人公は、その地につたわる伝説の首なし騎士に追われるのだ。
それから何十年ものち、ラフカディオ・ハーンをめぐる逸話を読んだとき、『スリーピー・ホロウの伝説』の授業がわたしの記憶によみがえってきた。ハーンは『怪談』を書くにあたって、民間の怪異伝承を妻のセツの言葉で再話させたという。しかも部屋を暗くして、なるたけ恐ろしげな調子で語らせたのだ。
「イカボッドはそれからどうなったと思いますか?」ミスター・オルソンは生徒たちに質問した。
ミスター・オルソンはあれからどうなったのだろう?その前にどんな道をたどってきたのだろう?彼の祖先は?
そういえば、あの於尊先生は名前からするとスウェーデン系だったのだな、と思い返したのはずいぶんあとになってのことだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿