2016年10月26日水曜日

虎の魂(4/5)

このところのテーマのもとではこまごま語っている余裕はないが、タイ北部の少数民族を訪ね歩く山岳トレッキングはたいへんおもしろい体験となった。そこで、つぎは旧正月の時期を選んで出かけることにした。初めてのトレッキングから1年余り後のこと。前回意気投合したガイドのシーモン君と手紙をやりとりして、こちらの希望をつたえ、旅程をまかせて案内してもらうことになった。

仏教国タイでは、旧正月は国全体の祝祭日であっても、少数民族の多くには縁がない。中国文化圏のヤオ(瑶)族のほか、旧正月の行事をおこなうのはラフ族とのことだった。

地元のトレッキングとなると、コースや宿泊先についてあまり選択肢がないのだろう。今回のシーモン君は、ルートを巡って山あいを歩くことはせず、旅行ガイドの役に徹して、われわれ二人をあちこちの訪問先に案内してくれた。
宿泊場所も、奥さんと二人の小さな子供のいる自分の家を提供した。カレン族が住むその小さな村には、シーモン君の両親も隣接する家で暮らし、在来種の小型の黒豚をたくさん飼っていた。
シーモン君と102歳の祖父

普通の観光客なら喜ぶ〈象乗りツアー〉をわたしたちが拒むので、間が持たないと思ったのか、シーモン君は別のカレン族の村に住む祖父の家に案内してくれた。おじいさんはもう102歳になるという。シーモン君が30そこそこなので、祖父にしてはちょっと年をとりすぎてやしないか。
「それ、確かな年齢なの?」
「うん、確かだ。おやじは結婚したのが遅くて、45のとき僕が生まれた。だから、そういうことになる」
おじいさんは年齢からすると驚くほど体がしゃんとして、話す言葉に気力が感じられる。
〈十八番おはこ〉のひとつの昔話だろう、古老は若いとき村が虎に襲われたときの話をしてくれた。家の中に入り込んだ虎を必死で戸口の外に追いやって、戻ってこようとするのを、内側から戸を押さえて何とか防いだという。恐ろしかったの何のって。脇腹に爪をたてられたのが、ほら、このとおり、傷跡になっている。

翌日、乗合のトラック・バスに乗って、旧正月の行事をやっているラフ族の村を訪れた。
最初のトレッキングで泊まったラフ村とちがい、住民の数も多いようだ。
中央の広場には竹を地中に刺して作った簡単なやぐらが立っていて、その上部に設けた座にお供え物の豚の頭が置かれ、笹の葉の束で囲ってある。
今夜はこのやぐらを取り巻いて、村人が踊ることになっている。まさに日本の盆踊りそのものだ。もちろんやぐらの上はまるきりちがうが。

お昼時、村の集会所ではすでに宴会が始まっていた。わたしたち二人のよそ者もそこに招き入れられ、お相伴にあずかった。そのとき食べたもののうち、生の牛肉の唐辛子味噌あえは忘れようにも忘れられない。絶品だったこと、そして、あとでひどい目にあったことで。

夜にならないとお祭りは始まらないので、ラフの村では長居しなかった。
日が落ちて、再び村へ向かう車に揺られているうちに、わたしはだんだん気分が悪くなっていった。村に着いて、お祭りの広場に達したとき、もうこれ以上がまんできず、草むらに嘔吐してしまった。その直後のことだ。全身に震えが走った。前年、別のラフ族の村で体験したときと同じく、背骨がガクガク揺さぶられた。そのときは気分のひどさのほうが切実で、震えのことなどかまっていられなかった。祭りを見物するどころではなかった。

これは旅日記ではないので、事の顛末は略すが、結果的に、旅はそこで中止するしかなく、シーモン君にチェンライの町に連れていってもらった。漢方薬局で選んだ薬が効いたらしく、さいわいそれ以上悪い事態にはならないですんだ。夫もやはり食あたりを起こしたが、わたしよりずっと軽症だった。
あとでシーモン君がチェンライの宿を訪ねてきて、わたしたちに報告してくれるには、あの日、ラフの村では住民の多くが食中毒を起こして、症状の重い何人かが町の病院にかつぎこまれたという。


そうやってチェンライの宿で半病人の身を横たえていたときだった、あの震えの記憶がよみがえってきたのは。--2度体験した異常な震え。どちらもラフの村での出来事。ラフとは虎の意味。古老の語ってくれた虎の話。
分散していたものがひとつに集束していった。それは虎だった。虎をめぐる何かだった。




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