鳥獣虫魚は人にメッセージを送る力をそなえている、などと言い出せば、スピリチュアル系の妄想に生きている人のように思われかねない。では、こういう言い方ではどうか。--人は森羅万象から日々、無意識のうちにメッセージを受け取っている。それらはささやかで無害なのだから、軽く受け止めるまでのこと。そんな「よしなし言ごと」であるにはちがいない。
twitter がほんらい「鳥の囀り」であるように、「ツイッター」で発するメッセージはおおむね穏やかな調子を逸脱させない。
ここで虎が登場するとなると、話は不穏な気配がしてくる。でも、残念ながら、そこには興味深いドラマひとつあるわけではない。自分の体験を淡々と報告するまでだ。
何を意味していたかは不明ではあるが、あれは虎からのメッセージだった。わたし自身、虎にシンパシーを抱いたことはないし、当時、何か心理的な問題をかかえていたわけでもない。
1990年代、タイという国が気に入って、夫といっしょに何度も訪れるようになった。あの激辛のタイ料理にはまってしまったというのもあるが、それよりもタイ東北部の民俗音楽にいざなわれたのが大きかった。
イサーンと呼ばれる東北地方は、メコン川の国境に接しているだけあって、隣国ラオスと共通する言語・文化を保っている。笙の系統の楽器〈ケーン〉が手風琴に似たまったりした和音を奏で、リズムを刻んで気分を盛り上げていくなか、歌のひとり語り、あるいは二人の掛け合いが、たたみかけるように続いていく。何かと親身に接してくれるタイの人たちの人の好さそのものに聞こえたものだ。
イサーンと呼ばれる東北地方は、メコン川の国境に接しているだけあって、隣国ラオスと共通する言語・文化を保っている。笙の系統の楽器〈ケーン〉が手風琴に似たまったりした和音を奏で、リズムを刻んで気分を盛り上げていくなか、歌のひとり語り、あるいは二人の掛け合いが、たたみかけるように続いていく。何かと親身に接してくれるタイの人たちの人の好さそのものに聞こえたものだ。
そうやって何度かタイを訪れるうち、夫のリクエストもあって、北部の山地に暮らす少数民族を訪ねるトレッキングを試みることにした。
チェンライの宿で紹介してもらったガイドはシーモン君という、少年っぽさの残る若い男。きびきびとして快活で、行動を共にするには絶好の楽しい相手だった。彼自身、山岳民族のカレン族であり、自分の村の、自分の家に案内することもしっかり旅程に組み入れていた。
チェンライの宿で紹介してもらったガイドはシーモン君という、少年っぽさの残る若い男。きびきびとして快活で、行動を共にするには絶好の楽しい相手だった。彼自身、山岳民族のカレン族であり、自分の村の、自分の家に案内することもしっかり旅程に組み入れていた。
トレッキング初日の宿泊地は、山頂に開けたラフ族の村だった。Lahuという民族名は、「狩人」を意味すると言われることが多い。だが、シーモン君は、いや、そうじゃなくて、中国語由来の言葉で「虎」を意味しているという説が正しい、と言い張った。
その夜は村長おさ一族の家に泊まることになり、われわれ二人の客人のために一室が提供された。寝床に入る前、夫が用足しに出ていって、わたしひとりでそこにすわっているときだった。突然、上半身に震えが走った。悪寒がするという感じとはちがう、それまで体験したことのない震えだった。背骨が勝手にガクガク揺れ、何秒かしておさまった。とっさに思ったのは、これは風邪を引きかけているのではないか、ということだった。旅のしょっぱなから体調をくずしては困ったことになる。
だが、翌日の体調に変化はなく、あの夜、震えがきたことも忘れてしまっていた。
その出来事を思い出したのは、1年後、再度この地方を訪れた時のことだ。
その出来事を思い出したのは、1年後、再度この地方を訪れた時のことだ。
山頂のラフ族の村 |
低地のタイ人の牛を預かって飼育する |
皆どこかで見たことのあるような |
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