2016年8月28日日曜日

スプレンギ砂漠の歌

アイスランドで長いあいだ歌い継がれている『スプレンギ砂漠越え』の歌。歌詞の作者はグリームル・トムセンGrímur Thomsen という19世紀に活躍した文人だ(1820-1896)
3連から成るその詩を訳してみる。あくまで言葉の意味が優先することになるが。

Á Sprengisandi

Ríðum, ríðum, rekum yfir sandinn,
rennur sól á bak við Arnarfell.
Hér á reiki' er margur óhreinn andinn
úr því fer að skyggja á jökulsvell.
:,:Drottinn leiði drösulinn minn,
drjúgur verður síðasti áfanginn.:,:

馬を連ねて駆けろ、駆けろ、急いで砂漠を越えていこう。鷲が峰の背に日が落ちる。ここはいろんな魔物が徘徊する地。だから氷河の頂きが翳っていく。わが馬を主が導いてくださいますように。最後の行程は厳しいだろうから。~リフレイン~

Þei þei, þei þei. Þaut í holti tófa,
þurran vill hún blóði væta góm,
eða líka einhver var að hóa
undarlega digrum karlaróm.
:,:Útilegumenn í Ódáðahraun
eru kannski' að smala fé á laun.:,:

しっ、静かに! 丘の上をキツネが走る。口の渇きを血で潤そうとして。いや、それとも、だれかが羊を呼んでいるのか。妙に野太い男の声で。オーダウザフロイン(悪事の溶岩台地)に住む荒野の民が、ひそかに羊を呼び集めているのだろうか。~リフレイン~

Ríðum, ríðum, rekum yfir sandinn,
rökkrið er að síga' á Herðubreið.
Álfadrotting er að beisla gandinn,
ekki' er gott að verða' á hennar leið.
:,:Vænsta klárinn vildi' ég gefa til
að vera kominn ofan í Kiðagil.:,:

馬を連ねて駆けろ、駆けろ、急いで砂漠を越えていこう。ヘルズブレイズ(幅広肩)の岩山の端がたそがれていく。妖精の女王が馬の支度をしている時分。その道行きに出くわしてはまずい。キーザギルの野に到達するためなら、とっておきの馬だってくれてやろう。~リフレイン~


Herðubreið の岩山
馬を連ねてスプレンギ砂漠を通り抜けていく旅人たち。そのなかのひとりのモノローグが歌われている。
日没が迫るなか、道中の峰や氷河や岩山を見やると、昔話や伝説、迷信で知っている摩訶不思議な存在が実際にそこにあるように思われてくる。
夜には、黒い不気味な砂漠を魔物が徘徊するという。氷河の頂きがその気配を見せている。不吉な声音はキツネか、それとも荒野の民か。妖精の女王に出くわしでもしたら、どんな目にあわされるかしれない。早くここを抜け出し、人の住む地に到達したいものだ。

馬の跑足だくあしを思わせるリズムに酔わされ、歌う人の気分は高揚させられる。昔の旅人が道中感じた畏怖の気持ちは、今の時代ではスリリングな遊びみたいなものだろう。

声を合わせてこれを歌う地区住民のなかで、グンミは疎外感をおぼえ、集会所を出ていく。魔物や荒野の民や妖精の女王のことを歌って何になるというのか。ほんとうに怖いのは、牧羊をやっていて生じるいろんな厄介事で、何よりもまず伝染病だ。

映画『ひつじ村の兄弟』をめぐる話題はこれにて。



ついでに、というよりも当然、『スプレンギ砂漠越え』の詩の作者グリームル・トムセンのこと、その時代のことを少し語っておきたい。

若き日のグリームル・トムセン
当時のアイスランドはデンマーク領だった。アイスランド人が高等教育を受けるには、デンマークに出て行かねばならない。グリームルはコペンハーゲン大学で最初、法律学と文献学を学んだあと、もともと関心が深かった哲学・美学に転じた。とりわけ心酔していたバイロンについて書いた論文が評価され、2年間のヨーロッパ旅行奨学金を与えられたほどだ。

同時代のデンマークでは、ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805-1875)が作家として知られるようになっていた。1835年の『即興詩人』が出世作となったが、彼の名前を不動のものにした童話作品のほうは当初、軽んじられていた。その童話をグリームル・トムセンは高く評価したという。

アイスランド人がデンマークで対等にやっていくには、改名することも必要となったのだろう。デンマークで通用するよう、グリームルはトムセン」を姓に選んだ。アイスランドにあればグリームル・ソルグリームソンと称するところを、父親の父称トーマソンTómassonを姓とみなし、これをデンマーク風にトムセンThomsenに変えたということのようだ。

グリームル・トムセン生誕150年の記念切手
その後、デンマークで外務省入りし、長官職まで勤めあげてから、彼はアイスランドに戻り、全島議会議員に選ばれた。
詩人グリームル・トムセンは、当時のヨーロッパで盛り上がりを見せていた民族的ロマン主義を存分に吸収し、それをアイスランド語で美しく歌いあげたと言うことができる。
孤立して停滞のきわみにあったアイスランドは、ロマンティシズムがかきたててくれる活力を必要としていた。祖先たちの栄光の歴史を思い出せと鼓舞してくれるものを。
その詩作品は、デンマーク領アイスランドで民族意識覚醒の気運を醸成し、自治獲得の運動にも影響を与えた。彼の死後、自治権獲得が実現した。
(アイスランドがようやく独立を果たしたのは1944年、デンマークがナチス・ドイツの占領下にあった時のことだ)。

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