2016年6月21日火曜日

英-EU離脱か残留か

気になってしかたなかった、この問題。イギリスがEUを離脱するか残留するかを決める国民投票が間近に迫った。
ここで政治問題に立ち入るつもりはない。個々の立場のイギリス人が、それぞれもっともな理由で残留・離脱を表明しているのを涼しく見聞きしているまでである。
だが、そういう情報とともに、あの国のこととなると、いろんな時、さまざまな場所での記憶がよみがえってきて、心おだやかでいられなくなる。

イギリス在住のフォーク歌手、ペギー・シーガーは定期的にメール通信で発言し続けているが、さすがに今日は自分の立ち位置を表明することになった。

Hello all - I’ve received a lot of concerned emails from varied sources and most of them wanting to know my take on the referendum.
I am voting REMAIN. There was never any question in my mind of leaving the European Union. As the last few weeks have moved toward the outrageous murder of Jo Cox, it has become even more obvious that the Brexit campaign is not only creating fears then playing upon them but it is attracting more and more of the kind of organisation and the kind of thinking that has no place in our 2016 UK.
So - I’m IN.  

ジョー・コックス議員殺害の件に触れながら、はっきりと「残留」を表明しているのだ。



ペギー・シーガー自身、生粋のイギリス人ではない。もともとアメリカで生まれ育った。シーガー一族といえば、アメリカの民俗音楽を再生させ、北米のフォーク音楽全盛のうねりを作ったことでよく知られている。
ペギーの両親は音楽家であり、アメリカの民衆音楽を掘り起こす仕事では先駆的役割を果たしたという。
この一族で圧倒的に名前が知られているのは、ペギーの異母兄にあたる歌手のピート・シーガーだ。1960年代のフォーク・リバイバルを牽引し、社会を動かすほどの影響力を発揮した。『We Shall Overcome』が世界で歌われていた時代は、今では信じられないくらい世の中に信頼感があふれていた--そう痛感せずにはいられない。

ペギーはと言うと、スコットランド人のフォークシンガー、ユーアン(イワン)・マッコールと結婚し、ずっとイギリスのフォークミュージック界で活動してきた。彼女がイギリス国籍を得ていることなど、こんな機会でなければ、話題にもならないだろう。

それはそうと、「生粋のイギリス人」などというものは、その神話を信じる人の頭の中にしかない。

わたしは1980年代、いろんな音楽をつまみ食いするうちに、ヨーロッパのフォーク音楽世界に迷い込むことになった。
こまかいことはさておき、ロンドンでは「フォーク・クラブ」でおこなわれるライブをはしごした。そういうなかで、ユーアン・マッコールとペギー・シーガーのライブに遭遇した。
「フォーク・クラブ」というのは、民衆音楽に賛同するパブが自分の店で催すライブの場、と説明しても、どうもわかりにくい。日本のひと昔前の「歌声喫茶」と、「民謡酒場」と「カルチャー・センター」をいっしょにしたもの、といえば何とかイメージがつかめるのではないか。

そのパブはたしかEmpress of Russia という名前だった。店の2階で催される音楽のつどいには、けっこうインテリが集まっていたように思う。
ともかく、そこで重鎮格のユーアン・マッコールが民衆歌を披露した。妻ペギー・シーガーの弾くバンジョーやギターがその歌を相手にたわむれる。マッコールはいつもながら、片手を耳にあて、目をつぶって歌に没入している。そこには楽器の伴奏など不要だ。ことにあの大味な音色のバンジョーは。だが、ペギーはバンジョーの単純・単調な分散和音で介入してくる。彼女の歌う声は、ピンピンに張ったスチール弦のようにきつく、叱りつけているみたいだった。かわいそうなマッコール。
彼が亡くなったのは、その後まもなくのことだった。



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