2018年10月13日土曜日

ロレンス・ダレルの季節①


当ブログの背後には、何とか書いておかねばという思いを背負わされた記憶の種々くさぐさが、亡者の群れのように蠢いている。だが、自分のうちで消化しきれない生の感情など、うっかり吐き出してはいけない。膨らみそこなったホットケーキのように、とうてい食べられたものではない。それをわかっているからこそ、一瞬思い出してはみても、内なる検閲官によって「書くべき時は来ていない」と却下される。

ロレンス・ダレルのこともそのひとつだ。

わたしにとって、ロレンス・ダレルの季節は秋である。この作家の出世作となった『黒い本』や『アレクサンドリア・カルテット』もろくに知らない段階で、どちらかといえば軽く扱われるトラベル・ブックの初デビューとなった Prospero's Cell を自分で発見し、魅了され、翻訳することになったという事情がからんでいる。その本は秋の気配が濃厚に感じられた。

その翻訳を工作舎から出してもらうとき、本来のタイトルどおり『プロスペロの岩屋』としてほしいと主張した。でなければ、せめて『プロスペロの島』と。だが、編集部案の『予兆の島』で押し切られてしまった。

当ブログの過去の記事に『失われた旅行鞄』という1回物がある。その鞄の中には『予兆の島』が1部しまい込まれていて、北欧の北部から延々と小型バイクに乗って南欧にまで至り、ついに南フランスはソミエールに住んでいたロレンス・ダレル氏に直接手渡されることになった。9月のことだった。

そのとき撮らせてもらった氏の写真もそのほかのものも、最終的に失われた。せめて当時の印象だけでも、というわけで、わたしが記憶している氏の風貌をネットの写真群から探してみた。

わたしはダレル氏から「コルフ島に行ったら、この人を訪ねるように」と、メッセージを入れた封筒を託された。こういう経緯がなければ、典型的観光地という偏見もあって、もともとコルフ島に立ち寄るつもりはなかった。ダレルが描いた1930年代の姿はとっくに失せているのだし。

そのときのわたしの旅のハイライトはシチリア島となるはずで、ダレル邸を辞したあと、南仏の海岸沿いの幹線道路をジェノヴァめざして向かっていった。そこの港からパレルモ行きのフェリーが出ているのだ。
ついこの8月、崩落して大惨事となったジェノヴァ市の高架橋、モランディ橋 Ponte Morandi をこのとき通ったはずだ。

2018年9月29日土曜日

体験・記憶から連想へと


承前。

「そういう絵柄として見たいがゆえに、そう見え、そうとしか考えられず、そのように理解する」と前回書いた。
過去の記憶のひとこまがそう書かせたのかもしれない。自分の意識の底に沈んでいた過去の出来事が、このような言葉を繰り出してきたのかもしれない。
何であれ、何らかの連想でつながることは可能で、連想の釣り針に引っかかる獲物が深海の珍しい魚であろうと、正体不明の生き物であろうと、つながるところから意味が生じるのだから。

まずはアイルランドでの出来事。
1990年代、夫のたっての希望で、西部クレア州の町エニスEnnisで開催された伝承音楽のセミナーに二人そろって参加したことがある。ここではその詳細にまでは立ち入らない。ともかく、レンタカーを借りていっしょにアイルランドをめぐるのは2度目のことだった。

エニスの町に入ってまもなく通りがかったB&Bが悪くなさそうだったので、部屋を見せてもらうことにした。あとで思えば、まずセミナーの本部を訪れて、宿を紹介してもらうのが順当だったろう。でも、イギリス、アイルランドでは、B&Bに関するかぎり、たまたま出くわす宿でじゅうぶん気持ちよく過ごすことができる。(現在ではずいぶん事情が変わってしまったろう)。

その家の女主人(あるいは主婦)はわずかにとまどいの表情を見せたが、わたしたちを招き入れ、部屋を見せてくれた。こちらもそのあいだに自分たちのことを説明した。東京からやってきて、町の教育施設で開催される音楽セミナーに参加することになっているのだと。
案内された部屋は少し狭いことを別にすれば、不満に思う理由もなかったので、とりあえずそこに2泊することに決めた。

あとで気がついたのだが、部屋にはひとつ妙な点があった。--これがこのエピソードの肝であるが--窓の横手の片隅に洗面台が設置されていて、その下のスペースに、色付けされた聖母マリアの像がすっぽり収まる形で立っていたのだ。

夫が言った。
「やっぱりこの国の信仰心のほどがわかるね。こんなところに表れているんだ」
「んーー(ソレッテ変ダ)」。わたしは同調できなかった。何だかおかしいと思いはしたものの、反論は思いつけなかった。

どれくらい後になってからのことだったか。セミナーが終わり、宿も引き払って、別の場所に移動していたのは確かだ。ほどよく晴れた空模様(よくreasonableと形容される)のもとで突然、啓示のように、わたしの頭に答が降りてきた。
「わかった、あの洗面台の下のマリア像のこと。--泊まり客の行動を監視させているのよ。夜、部屋の外のトイレに行くのが面倒くさいものだから、洗面台でやらかすなんてこともありうるね。それを防ぐためにマリア様に見張ってもらっているというわけ」
まさにどんぴしゃり。これ以外の正解はない。

つい最近、『ベロニカとの記憶』というイギリス映画を観たさい、ある滑稽な場面で上記のエピソードを思い出すことになった。
映画の原作はジュリアン・バーンズの『終わりの感覚』。わたしの好みの作家であり、語りたいことは多々あるが、いずれそのうちに。
以下は映画に依拠して書いている。

物語は、今や老境にある主人公トニーのもとに、思いがけない内容の手紙が届くところから始まる。そこで一気に自分の過去へと引きもどされると、記憶をたどり、反芻していく。
大学時代の恋人ベロニカのこと、高校時代からの親友で、若くして自殺したエイドリアンのこと。
過去の苦い体験については、きっぱり片をつけておいたはずだのに、今頃になって自分に揺さぶりをかけ、存在の根幹を揺るがそうとしている・・・。

そういう展開のなか、二十歳そこそこのトニーがベロニカの実家に招かれて滞在するシーンがある。
それはロンドン郊外のちょっとした邸宅で、いささか風変わりな家族は、ベロニカのフィアンセ候補に対し、小手調べのように、遠慮のないふるまいで応じる。
父親にいたっては、今夜泊まる部屋に案内しながら、片隅の洗面台を指して言うのだ。
「夜はそこに小便していいぞ」

で、実際に起きたことはと言えば。
その夜ベロニカに拒まれて、独りすごすごと自分の部屋に戻ったトニーは、何はともあれ洗面台に向かう。むろん放尿のためではない。



 


2018年9月26日水曜日

体験の容れ物、記憶


ほかでもない「体験の容れ物」に傾注することになったのも、この夏、飼い猫の最期に寄り添う毎日を過ごしたからだ。

現在進行形で起きていることに浸りきっているさなかの体験は、記憶として後まで残るものとは違う。
ある種の体験は、意識の低下した状態(たとえば夢)に出来しゅったいする象徴や、神話・伝説でもって語るほうが、時系列で語るよりも真実味をおびてくる。わたしはそういう「体験の容れ物」を必要としていた。

佐藤優が15の歳で体験したひと夏は、独特の様式で描かれている。独自に編み出した形態の意匠のなかで、当時の自分というものを対話形式で語っているのだ。対話そのものも、どことなく古めかしい「自己形成小説(ビルドゥングスロマーン)」を読んでいるように感じられる。そこには限りなくフィクションの匂いがたちこめている。とはいえ、その形でしか表せない真実というものがあるのは認めなくては。

「体験の容れ物」をまず用意するのだ。わたしはそう思うにいたった。

「記憶」というのは、「自分なりに理解した」かぎりの絵柄ではなかろうか。そう見えたし、そうとしか考えられなかった--だからそう理解した、と言っているだけのこと。じつは自分がそういう絵柄として見たいがゆえに、そう見え、そうとしか考えられず、そのように理解するのかもしれない。あるいは、すでに自分のなかに先入観があって、既成の絵柄からそれに当てはまるものを選んでくるのか。

2018年9月21日金曜日

ある光景


複雑な家族ドラマのワンシーンが切り取られて、そこにあった。それは傍目にもドラマと映り、前後の場面まで想像をふくらませられそうだった。

季節は春。午後もだいぶ過ぎた頃。わたしはいつも利用するスポーツ施設を出て、小学校正門に隣接する駐輪場へと向かっていた。ちょうど高学年の下校時間だったらしく、ランドセル姿の生徒たちがてんでに道路のほうに流れ出ていく。
「Hello!」と呼びかける声が聞こえて、わたしは振り返ることになった。
声をかけられたのは、生徒の流れのなか、ひとりで歩いている女の子だった。細身ながら背丈は大人に近い。その姿にランドセルは気の毒なくらい似合わない。無理やり背中にくくりつけているように見えてしまう。
声の主は白人の女性で、少女のほうへ歩み寄り、親しげに手をとった。髪はブルネット、年は30台くらいだろう。白いTシャツに黒いスパッツという地味な服装が、贅肉をことさら目立たせていた。

少女は立ち止まって女性にうなずき返したが、目をそらし、表情は固いまま。それからすぐまた同じ歩調で進んでいく。そのあとを女がうつむき加減で続いた。歓迎されなかった自分を自覚している。白シャツの背中が敗北と諦めの表情をくすぶらせていた。

二人は目の前の道路を渡って、そのまま大通りへ向かう歩道を進んでいった。そこで少女はようやく歓迎すべき人を見つけた。どうやら父親のようだ。すぐさまその腕をとって、しなやかな全身を寄り添わせ、さかんに言葉をかけていた。傍目にも父と娘の親密なひとときに見えた。
で、白人の女性はというと、父娘のすぐ後ろを、今や完全にうつむいて、遠目にも贅肉のはみ出たシルエットのまま、とぼとぼ歩いていくだけだった。

そこまで目で追ったところで、場面はフェードアウトした。