2017年2月14日火曜日

マイケル・ブース氏トークイベント

たぐり寄せた糸がまだとぎれずに続く。

「正義」性を表明したければ、「教育」という手を使うにかぎる。自分が教育する側にいるかぎり、目の前に居並ぶのは教育される側であり、これら二者は截然と区別され、上下に分かれている。教育する側がつねに上にあって、しかも正しい(ということになっている)。
「教育」という言葉自体、すでに事々しい防壁が張りめぐらされているように見える。
国の大事であるからと、「教育」を、文句のつけられない聖域にしたうえ、それを大事にしている自分たちを、文句のつけようのない領域に置いておく。--学校以外の場でそれを実行してきたのが、日本の有力紙、A新聞だ。

その聖域、領域がいくら広いように見えても、現実の世界からすれば、柵をめぐらした内向きの世界でしかない。自分たちだけで見つめ合う人たちには、その背後に広がる世界は存在しない。

自分で口ごもりそうになりながら、教育などという言葉を出してつぶやくことになったが、これも想定どおりの道筋ではある。以前、マイケル・ブースの『限りなく完璧に近い人々』を話題にしたあと、こういう展開でいくつもりだったのだ。そもそものきっかけはブース氏のトークイベントだった。

去年の秋のこと、このベストセラー本に関する評やコメントをネットで漁っていたら、A新聞のGLOBEという部門が、ブース氏を招いてトークイベントを開催するという情報に行き当たった。題して『世界一幸せ?北欧社会のリアルを読み解く』。ネットの気軽さもあって、参加者募集にその場で応じたのだ。

主催はA新聞、会場は出版元のカドカワが所有する豪勢なビルのホールで、12月2日、マイケル・ブース氏のトークイベントがおこなわれた。
北欧からのゲストは在日フィンランド大使ただひとり。フィンランドはブース氏が個人的に偏愛する国であり、A新聞からすると、教育というテーマで理想を語るのにうってつけの国だ。
そのほか、胴元A新聞の社長と司会役の女性記者が同席し、ブース氏を調教済みの動物のように披露し、A新聞の味覚の嗜好に沿う話題を振った。ブース本をおもしろくしている絶妙な切り口とレトリックについては完全無視。そのかわり、教育、男女共同参画、子育て、ライフワークバランスといった、おなじみの分野に誘導し、そこを自社自賛の場に仕立てた。
クライアントのそういう空気を読み、期待に沿った発言をするくらい、手だれのジャーナリスト、ブース氏には造作ないことだ。
彼が得意とする皮肉や逆説まじりにひねりをきかせたユーモアは、凡庸な精神には荷が勝ち過ぎる。たとえそういう発言を頭で理解できたとしても、A紙の二人は返す言葉を持たないだろう。湿気たマッチ棒に火がつかないがごとくである。その場は「限りなく朝日に近い言説」の周囲によどんでいた。


渡辺雅隆社長は何かと「うちでは」という言葉を口にした。朝日の「正しさ」がつつがなく受け継がれていく現場を見るようだった。

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