急ぎ出典を掲げておくと、先賢の知恵の集大成ともいうべき『千一夜物語』である。より詳しく言うならば、マルドリュス版の第576夜から第615夜にかけて語られる『ハサン・アリ・バスリの冒険』。そのなかで、学校教師が無能鈍重の馬鹿者だと言われているのだ。(佐藤正彰訳・ちくま文庫)
ただでさえ、入れ子の構造がストーリーをきらびやかに(あるいはややこしく)している大部作である。その一部分をつまみ食いするのは無粋であることは承知のうえで、とりあえず入り組んだ構造をはしょって、大筋を述べておくと--
昔、中央アジアのあるところに噺好きの王がいて、ありとあらゆる物語と冒険談を聞き尽くしてしまった。それでもまだ新しい噺を渇望してやまず、おかかえの噺家に、これ以上噺を聞かせられないなら死でもって報いてやると脅す。
噺家は王に1年の猶予を願い出、信頼する白人奴隷を5人、東はシナ、西はエジプトにいたるまで遣って、稀代の物語『ハサン・アリ・バスリの冒険』を捜させたところ、ついに奴隷のひとりが、その物語を知る長老シャイクーを尋ね当てることができた。
シャイクーは物語を伝授する前にこう前置きした。
「よろしい、この物語こそは、相手を選ばず語ってよいという物語ではなく、万人向きに出来ているものにあらずして、ただ選りぬきの人々にのみ向くものであるからして、...、次の五種類の人間に対しては、ただの一語も決して洩らさぬということを、わしに誓いなされ」。
この物語を他言してはならない5種類の人間とは、以下の者である。カッコ内はその理由。
1.無知蒙昧の徒(彼らの粗野な精神では、この物語のありがたみはわかるまい)
2.偽善の徒(彼らはこの物語を不快に感じるだろう)
3.学校教師ども(彼らは無能鈍重であるがゆえ、この物語を理解できないだろう)
4.馬鹿者ども(彼らは要するに学校教師と同じ)
5.不信の輩(彼らはこの物語から有益な教訓を取り出せないだろう)
で、この貴重な物語『ハサン・アル・バスリの冒険』はどれくらい珍しく、おもしろいのか?そんなことは問題ではない。肝心なのは、貴重な探求物に到達するところまで、探求を達成するところまで。それはドン・ファン、カザノヴァにおいても繰り返されてきたことだ。
それにしても、二度も引き合いに出されるとは、学校教師もずいぶんと見くびられたものだ。
これは何もアラビアン・ナイトの世界だけのことではない。知的に劣る者を相手に、自分のわずかな知識を伝授するのが仕事だと思っている学校教師は、じきにちっぽけな自分を露呈することになり、見くびられるのだろう。
それにしても、二度も引き合いに出されるとは、学校教師もずいぶんと見くびられたものだ。
これは何もアラビアン・ナイトの世界だけのことではない。知的に劣る者を相手に、自分のわずかな知識を伝授するのが仕事だと思っている学校教師は、じきにちっぽけな自分を露呈することになり、見くびられるのだろう。
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