ヨーロッパ中世ルネサンス時代のポリフォニー音楽は、わたしにとって数少ない音楽実践の場を提供してくれた。
1970年代の終わり、ひょんなことから中世ルネサンス音楽の演奏グループに加わって、リコーダーを吹いていたことがあるのだ。
メンバーのなかに、当時すでにプロの道を進み始めていたギター、リュート奏者がいて、フランドルやフランスの作曲家のなかから、弾きやすい世俗曲(つまり宗教性のないもの)を選んで、楽譜も用意してくれていた。この若いギタリストの後の手堅い仕事ぶりを見るにつけ、よくまああんな素人の集まりに耐えてくれたものだと思う。
初心者でもとっつきやすいスザート(Tylman Susato)などの曲のおかげで、わたしはパートを合わせて弾く楽しさにはまった。
ギヨーム・ド・マショーの晦渋な曲にまで挑戦したとは、今となっては信じられないくらいだが、それがわたしの「ポリフォニー音楽」体験の原型を形作ることになった。個々のパートは比較的単純なメロディでありながら、たがいに支え合うようにできていない複数のパートを重ねることで、音楽全体に異化作用を生じさせる--というふうに説明するとわかってもらえるだろうか。
こころよさをめざしていると思えないそういう音楽は不思議にあとをひく。
唐突な話だが、昔テレビでたまたま目にした『安来節』がそんな風だった。三味線、笛、太鼓が二組で別々の節をやっていると見せて、それらが節目節目でぴたりと合わさり、唄い手はさらに別の節でもって囃子を乗りこなしているのだ。今、ネットを探しても、そういう演奏を見つけることができないのは残念だ。
最近では、アニメ映画『かぐや姫の物語』の最後、〈天人の音楽(久石譲作曲)〉に、中世ポリフォニーの異化効果を感じた。これについては、映画全体の基調からあまりに離れた、唐突で異色の音楽が異化作用をもたらしたということもあるだろう。映画のサウンド・トラックをこの場で引用する手だてがないので、不満ながら代わりの音源を。
演奏グループでは、声楽曲も試みることになり、各自、NHKラジオ・テレビのフランス語講座に挑戦した。
ユングの心理学にも熱中していたこの時期、わたしは東京にいて別世界にあった。
ユングの心理学にも熱中していたこの時期、わたしは東京にいて別世界にあった。
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