かなり無理があるのは承知で、しばらくグレタ現象と宇宙叙事詩『アニアーラ』を交互に並べて考えていた。どう見ても、その二者は同じ源泉から湧き出ているように思えるのだ。
そんななか、「さまよえる宇宙船〈アニアーラ〉はどこへ行く?」というフレーズが思い浮かんだ。するとつぎの瞬間、軽快なメロディに乗った歌が聞こえてきた。昔NHKテレビでやっていた子供向け番組のテーマ音楽だ。それがわたしの頭の中をエンドレスで流れた。
~ひょうたん島はどこへ行く、僕らを乗せてどこへ行く
丸い地球の水平線を、何かがきっと待っている~
『ひょっこりひょうたん島』という人形劇は、日本でオリンピックが開かれようとしていた年に始まり、5年間続いた。(放送期間 1964年4月6日-1969年4月4日 放送時間 平日17:45-18:00)
わたしがその番組を欠かさず見るようになったのは高校に入ってからだ。
井上ひさしと山元護久という原作者がいることなど気にも留めず、物語の奇抜な展開と、はじけ飛ぶせりふや歌のナンセンスぶりに大笑いするだけだった。
そこには独特の味覚が感じられた。なぜか知らねどやみつきになる。声優たちもそろっていた。
井上ひさしと山元護久という原作者がいることなど気にも留めず、物語の奇抜な展開と、はじけ飛ぶせりふや歌のナンセンスぶりに大笑いするだけだった。
そこには独特の味覚が感じられた。なぜか知らねどやみつきになる。声優たちもそろっていた。
~ゥリカ、ゥリカ、魔女リカ、魔女のなかの魔女・・・
と唄う黒柳徹子の声は、Rの音をどう発音するかという手本となって、今もわたしの耳に残っている。
当時はビートルズの全盛期でもあった。1966年にはこのスーパースターたちが東京の武道館で公演した。
そのニュースはわたしには無縁の世界の出来事だった。当時彼らの音楽に耳を傾けた記憶もない。
わたしは自室にこもると、手持ちのレコードとFM放送でクラシック音楽を聴いた。そこに限りなく沈潜した。そうやって学校生活で存在を失った自分を生き返らせた。
『ひょうたん島』が見せてくれる笑いは、破壊的なエネルギーを秘めていた。現実世界を木っ端みじんにして、胸がすく思いにさせてくれた。
そのニュースはわたしには無縁の世界の出来事だった。当時彼らの音楽に耳を傾けた記憶もない。
わたしは自室にこもると、手持ちのレコードとFM放送でクラシック音楽を聴いた。そこに限りなく沈潜した。そうやって学校生活で存在を失った自分を生き返らせた。
『ひょうたん島』が見せてくれる笑いは、破壊的なエネルギーを秘めていた。現実世界を木っ端みじんにして、胸がすく思いにさせてくれた。
こうしてひょっこり、昔の人形劇のことを思い出したついでに、わたしは『ひょうたん島』について検索してみた。すると思いがけない裏話に出くわしたのだ。
主要人物たち--ひょうたん島に遠足で来ていた5人の子供たちと女の先生は、ちょうど起きた火山の噴火で全員死んだことにしてあったというのである。
世界中の海をめぐる島の上で活劇を繰り広げていたのはじつは死者たちだった。
作者の井上ひさしが読売新聞の記事でそういった舞台裏を明かしている。
世界中の海をめぐる島の上で活劇を繰り広げていたのはじつは死者たちだった。
作者の井上ひさしが読売新聞の記事でそういった舞台裏を明かしている。
記事の抜粋はつぎのよう--
井上、共作者で78年になくなった山元護久、竹井ディレクターの3人とも、家庭の事情で親に頼れない少年時代を過ごした。
「大人たちに徹底的に絶望した」少年たちが、ユートピアとして考えた「ひょうたん島」は、「親も大人も存在しない、我々が新しい生き方を作って行かなくてはならない場所」になっていったという。
そして、そんな「どこでもない場所」の物語にリアリティーを持たせ、作者の二人が自身を納得させるために出した結論が、死者の物語という設定だった。
劇中に「御詠歌」や「四国霊場物語」を出したのもそのためだが、それは二人だけの秘密だった。
「御詠歌」が歌われる部分はYouTubeで見られる。
「大人たちに徹底的に絶望した」少年たちが、ユートピアとして考えた「ひょうたん島」は、「親も大人も存在しない、我々が新しい生き方を作って行かなくてはならない場所」になっていったという。
そして、そんな「どこでもない場所」の物語にリアリティーを持たせ、作者の二人が自身を納得させるために出した結論が、死者の物語という設定だった。
劇中に「御詠歌」や「四国霊場物語」を出したのもそのためだが、それは二人だけの秘密だった。
「御詠歌」が歌われる部分はYouTubeで見られる。
あの子供向け番組の晴れやかさは、こんなところに秘密があったのか。
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