このあいだ読んだ阿川佐和子のエッセーでは、その形態について、こんにゃくの心理の機微にまで立ち入って語られている。
「長方形に切ったこんにゃくの中心に包丁を入れて切れ目をつける。その切れ目にこんにゃくの片方の端をくぐらせると、あらまあ不思議。手綱こんにゃくの出現である。まるで手品のようだった。くるりと裏返ったこんにゃくが、左右にねじりを入れたかたちでしゃきっと落ち着く。まるでそのかたちがこんにゃくにとってこよなく心地よいとばかりの落ち着きようである。もとの長方形に戻ろうという気配はなく、まな板の上で堂々と仰向け(どちらが表かわからないけれど)になっている。」(新潮社フォーサイト、やっぱり残るは食欲(16)より)
これを読んで、食材にひと手間加えて変身させるという技が親しく思われ、さらに別の食べ物のことへと連想が向かった。
アイスランドの「ねじりドーナツ」である。わたしはある環境と状況のもと、食材をねじるという技を教わったのだ。
アイスランドで留学生活を送るようになって最初の冬、わたしは短期休暇を郊外の老人施設に住み込んで働かせてもらった。レイキャヴィクから内陸に入ったクヴェラゲルジ Hveragerðiという、地熱を最大限に利用するため計画的に作られた町だ。老人施設もそのひとつで、1970年代初めとしては理想的な形態で運営されていた。
「長方形に切ったこんにゃくの中心に包丁を入れて切れ目をつける。その切れ目にこんにゃくの片方の端をくぐらせると、あらまあ不思議。手綱こんにゃくの出現である。まるで手品のようだった。くるりと裏返ったこんにゃくが、左右にねじりを入れたかたちでしゃきっと落ち着く。まるでそのかたちがこんにゃくにとってこよなく心地よいとばかりの落ち着きようである。もとの長方形に戻ろうという気配はなく、まな板の上で堂々と仰向け(どちらが表かわからないけれど)になっている。」(新潮社フォーサイト、やっぱり残るは食欲(16)より)
これを読んで、食材にひと手間加えて変身させるという技が親しく思われ、さらに別の食べ物のことへと連想が向かった。
アイスランドの「ねじりドーナツ」である。わたしはある環境と状況のもと、食材をねじるという技を教わったのだ。
アイスランドで留学生活を送るようになって最初の冬、わたしは短期休暇を郊外の老人施設に住み込んで働かせてもらった。レイキャヴィクから内陸に入ったクヴェラゲルジ Hveragerðiという、地熱を最大限に利用するため計画的に作られた町だ。老人施設もそのひとつで、1970年代初めとしては理想的な形態で運営されていた。
大型の中央棟は医療施設も兼ねていて、介護が必要な人たちが入院生活をしている。
メインホールにはオルガンが備えられ、日曜日にはそこでミサがおこなわれた。
その家にひとり居住していた女性は、こぎれいなたたずまいもあって、老人には見えなかった。だが、彼女は重い鬱を抱えていた。日中はきちんとした身なりでいたものの、体を起こしているのも耐えられないというように、いつでもソファに横たわってまどろんでいた。
わたしはアイスランド語の練習を必要としていたので、彼女を相手に、少ない語彙を動員して話題を振ってはみたものの、まれに応えてくれても話は続かず、じきあきらめざるをえなかった。
わたしはアイスランド語の練習を必要としていたので、彼女を相手に、少ない語彙を動員して話題を振ってはみたものの、まれに応えてくれても話は続かず、じきあきらめざるをえなかった。
ともあれ、わたしの職場の中央棟は、いろんな人たちが働く活気あふれる場所だった。なかでも重要な食事部門は、リネイという有能な女性の指揮・統率のもとにあって仕事が割り振られ、わたしが置かれた立場は、さしずめ台所部隊の一兵卒というところだった。
そこでわたしはいろんな半端仕事を命じられたものだ。
食堂の椅子の脚の下部分を拭いて汚れを落とすように。丸茹でしたじゃがいも(アイスランドの土壌で育成できる数少ない野菜のひとつで、とても小さい)は、熱いうちに皮をはがすこと(熱くて握れないようだったら、一瞬だけ水に浸していい)。
居住者たちは日に3度、中央棟の明るい大食堂にやってきて、置き並べられた4人用テーブルについて食事をする。
朝食はビュフェ・スタイルで簡単にすませる。ただ、パンについては、ライ麦パンなり白パンなり平焼きパンなり、好みのものが選べるよう、種類別に大皿に並べておかねばならない。
薄切りライ麦パンにバターを塗っておく仕事を仰せつかったとき、わたしはふだんするように、ごく薄く伸ばし広げた。するとリネイは「だめだめ」と言って、どうすべきか手本を見せてくれた。巨大なバターの塊から、厚さ5ミリはありそうな片に切り取って、薄いパンの上に塗る--というより、乗せるのだ。
薄切りライ麦パンにバターを塗っておく仕事を仰せつかったとき、わたしはふだんするように、ごく薄く伸ばし広げた。するとリネイは「だめだめ」と言って、どうすべきか手本を見せてくれた。巨大なバターの塊から、厚さ5ミリはありそうな片に切り取って、薄いパンの上に塗る--というより、乗せるのだ。
バターを「塗る」と、「乗せる」とのあいだには越えがたい溝があると思い知った。
椅子の脚拭きから、熱々じゃがいものピーリングへ、さらに大皿の盛りつけへと、わたしは昇進していき、ついにアイスランド料理界の一端にまでたどりついた。それがねじりドーナツ、クレイヌル (kleinur、単数形は kleina) である。
まず、しっかり練ったドゥを麺棒で延ばし広げるところから始め、それを5センチほどの幅に長く切っておく。つぎにその帯筋に対して斜めに切れ目をいれていく。すると、そこは菱形模様で埋めつくされている。ここが肝心な部分だ。正方形でも長方形でもない菱形。トランプのダイヤ形。
端に半端な切れが残るが、そんなものはあとでまとめて片づければいい。
つぎに菱形たちのそれぞれをちょっと変身させておく。
縦長の中央に切り込みを入れて穴を作り、細い端をつまんで裏から穴をくぐらせて引っくり返す。さっきまで平たく伸びていたドゥ に華やぎがほの見える。
お菓子作りの世界では初歩レベルの手仕事だろう。
この作業を延々やり終えたら、たっぷりの油で揚げる。茶色に色づくまで。ねじってある部分はよく膨らんで、盛り上がっているところなど、どことなく肉感的と言えなくもない。
パンケーキと並んでアイスランドの誇る国民的菓子クレイナ(クレイヌル)のレシピは、ざっとこんなところである。バターやクリームや揚げ油のことをはしょって説明するならば。
「クレイナ」という名前の由来はささやかなものだ。直接には、その菓子のデンマークでの名称「 klejna クライナ」から来ており、「クライナ」からして、ドイツ語の kleine 、「小さな」という形容詞でしかない。
小さいといえば、この揚げ菓子はそのとおりだ。
ところで、アイスランド語でクレイナ、クレイヌルと音にしてみると、いかにも「ねじるんです」と言っているように思えないか?
「クレイナ」という名前の由来はささやかなものだ。直接には、その菓子のデンマークでの名称「 klejna クライナ」から来ており、「クライナ」からして、ドイツ語の kleine 、「小さな」という形容詞でしかない。
小さいといえば、この揚げ菓子はそのとおりだ。
ところで、アイスランド語でクレイナ、クレイヌルと音にしてみると、いかにも「ねじるんです」と言っているように思えないか?
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