前回、フランスの絵本『雪の子アプツィアック』をめぐる思い出を書いた。この絵本について調べていくなかでわかったことがある。デンマークではその訳本が事実上、消えてしまっているのだ。
その内容が人種差別的であり、 political correctness(政治的正しさ=公正)に反するとされて、自主規制した結果が絶版につながったようである。
「ポリコレ棒で殴る」という今風の言い回しまでできているくらい、近年の「ポリコレ」は過激だ。言葉づかいや表現を槍玉にあげ、集団で、しかも自分たちは正義の側にあるという信念のもと、襲いかかってくるのだから。
日本で長く親しまれていた絵本『ちびくろサンボ』が、「人種差別的」という批判を受け、出版社みずから絶版にするという騒動があった。それも今や昔の出来事となり、さいわいにも絵本自体、再版され出回っている。
『雪の子アプツィアック』に関連して、当然『ちびくろサンボ』の絶版の経緯についても調べてみた。あまりに有名な絵本なので、自分ではよく知っているつもりでいたが、じつは子供のとき読んだきり、すっかり忘れていた。
ストーリーをたどるうち、少年サンボが双子の弟妹を捜しているくだりで、突然、わたしの幼稚園時代の記憶がよみがえってきた。猿にさらわれた双子は高い椰子の木の上に隠されていて、そこから涙がぽたぽた落ちてくるので、ようやく居場所がわかる場面である。
わたしは特にそのページをまねて画用紙に描いたのだ--不意にその記憶が呼び覚まされた。
忘れもしない。当時はあのミッション系幼稚園にいやいやながら通っていた。
今にしてわたしはようやく気づくこととなった。人目につかない椰子の木のてっぺんで涙をこぼしているのは自分だ、そう思ってあの場面を描いたのだと。
話はやはり『雪の子アプツィアック』の絵本にもどっていく。
話はやはり『雪の子アプツィアック』の絵本にもどっていく。
この本が問題となるのは、人種差別というよりはむしろ、未開人をキリスト教化することを良しとする態度のほうだろう。16世紀以来、デンマークの宣教団がグリーンランドでさんざんやらかした歴史がある。スペイン人が南米でおこなったことにくらべればかわいいものではあるが。
作者ポール-エミール・ヴィクトールは人類学者だけあって、さすがに宣教団の偏狭さはないものの、フランスの子供に向けてエスキモーの一生を語るには、共通認識のキリスト教を使っていいように思えたのだろう。
冒頭に主人公の誕生を祝福する天使たちの姿がある。最後に老いて寿命が尽きると、彼はエスキモーの天国へ召され、そこで同族の人々とともに、なじんできた動物たちに囲まれているのだ。
グリーンランドから遠く離れた異教徒には、とくに問題視するほどのことはないように思えるが、グリーンランドを抱えるデンマークからすれば、やはり触れないでおきたい部分なのだろう。
それよりも何よりも、今のグリーンランドが中国経済によって植民化されそうなことを心配したほうがいい。
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