2018年12月19日水曜日

映画『if...』



何たる偶然の一致。ちょうど50年前の今日だったのだ、イギリス映画 if... が本国で公開されたのは。
蔦屋で借りてきたそのDVDを昨夜観たあと、ネットでいろいろと検索するなかで、19681219日という封切りの日付を知って、あらためて自分の来し方を振り返ることになった。

その映画をわたしは京都の名画座〈祇園会館〉で観たはずだ。映画そのものに衝撃を受けたことは憶えているのに、いつ、どんな状況で観たのかという記憶はとんでしまっている。日本での封切りは19698月とのことなので、名画座に降りてくる頃には、わたしはすでに日本を離れていたはずだ。とすると、それを観たのは帰国して京都に住み始めた1973年秋以降のことだろう。

わたしはその映画の何にかくも激しく動かされたのか?
自分の存在を理不尽に縛りつける権威に激しく反発する高校生の心である。そしてその権威に対し、また権威の擁護者たる無害な人々にまで、機関銃と手投げ弾を浴びせ、皆殺しにするという破滅的シーンである。

昨夜、45(?)ぶりにこの映画を観て、細部のシーンまで憶えていることを確認できた。何よりも、Missa Lubu-Sanctus という歌のメロディが記憶にしっかり刻み込まれていた。この長い年月、頭のなかで幾度も反芻して、それらの音楽を自分の記憶に刻みこんできたのだろうか。なんなら再現できるくらい自分のものとなっている。

インターネットの時代、検索すればこのように画像も音楽も手元に引っ張ってこれる。--映画が相互に与え合う影響。イギリスの由緒あるパブリックスクールの輝かしい面と、その反面の、性的抑圧からくる暴虐ぶり。英国国教会の賛美歌が不動の力を誇示するように歌われる一方で、それと対峙するかのように何度も流れるアフリカのゴスペル音楽。いかにもイギリスらしい意表をつくブラック・ユーモア。などなど、話題ならいくらでも出せよう。

ひとつわたしの記憶から抜け落ちていたものがある。カラー場面のあいだに白黒場面がさしはさまれているのだ。これについてはあとの課題としたい。

わたしはその映画の何にかくも激しく動かされたのか?
自分の存在を牢獄の中に縛りつけようとする高校生活を経ていたからだ。1960年代終りの大学闘争に加わったのも、いわば自分の高校に対して報復するためだったといえる。

日本を離れ、自分には羽があると気がついて、せいいっぱい羽ばたく3年間を過ごして、恨みの気持ちはすっかりとれていたはずだ。にもかかわらず、映画 if... は、若い心の奥底に潜むマグマをなおも刺激するに十分だった。

マルカム・マクダウェル演じる男子生徒を頭目とする反逆児たちは、反撃を受けていずれ平定されるだろう。そのことを示唆しつつ映画は終わる。

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