前回の映画『if...』の話題から続く。
当時25歳であり、パブリックスクールの高学年の生徒を演じるにはいささか薹が立ちすぎているが、ミックの役は、マルカム・マクダウェルが演じることで奥行きと陰影を得ることになった。
その傲岸不遜かつ奔放な振る舞いは、年長の監督生たちにとっては脅威でしかなかったろう。それでなくとも、長い学寮生活で倒錯的嗜好に傾きがちな輩たちが支配している世界である。ミックは彼らから徹底的な屈辱を与えられる。
その傲岸不遜かつ奔放な振る舞いは、年長の監督生たちにとっては脅威でしかなかったろう。それでなくとも、長い学寮生活で倒錯的嗜好に傾きがちな輩たちが支配している世界である。ミックは彼らから徹底的な屈辱を与えられる。
この殺戮場面は、現実にあった銃乱射事件を思い起こさせる。それは1年余り前、アメリカ合衆国ラスベガスで起きた。50代の白人男が、ホテルの高層階から下の野外音楽会場に集う人々を狙って、軍用レベルの銃を乱射し、58人もの死者を出したというものだ。
今のところ、この事件はテロと認定されず、動機は不明ながらも、個人的な犯行と断定されている。動機については、薬物の影響だとか、心理学でいう「拡大自殺」だとかの見解が出されている。わたしとしては、本人の「屈辱」体験が引き金になったという説を唱えたいところだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
忘れもしない、 あれは高校入学時のことだった。それまでの3年間、わたしは地元大学の付属中学校という実験校で、制服もない自由な空気の中で激励されながら過ごしてきた。実験校は小中学校しかない。高校進学については、地元校のうち、通いやすいところを選べばいいという程度で、ほとんど競争のない緩い進路があるだけだった。
通学時間が徒歩10分という近さであり、わたしは旧制中学を前身とする高校に入った。すぐに、入学が入獄と同義語であることを、重しのような制服の下で思い知らされた。
入学の儀をひとしきり終えたあと、新入生は、何があるか知らされないまま、全員、体育館に召集され、並ばされた。そこを高学年の応援部の男子生徒たちが、黒い詰め襟姿で取り囲み、伝統とやらの応援歌の練習を開始した。ひたすら声をかぎりに歌わせた。部員たちは何かと難癖をつけては、肩をいからせて怒鳴った。
今にしてわかる。それは、新入りを萎縮させ、従わせることだけを目的としたイニシエーションの儀だった。(あの映画の新入生たちはまさにそのような目にあっている)。運悪く新入生集団の端の列にいて、上級生の男に罵声を浴びせられこづかれて涙ぐむ女子生徒をまぢかに見て、わたしは怒りに震えた。
人に屈辱を与えて意のままにするという彼らの意図を、わたしはそこに見た。
人に屈辱を与えて意のままにするという彼らの意図を、わたしはそこに見た。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
入学した日のこの出来事にはちょっとした後日談がある。それをここに追記しておきたい。
体育館での一件のあとまもなく、新入生の女子生徒が3人、応援部に入りたいと申し出て、実際に活動を始めたのだ。黒い詰め襟の男子生徒で成り立っている応援団としては前代未聞のことだった。
3人とも、わたしと同じ付属中学の出身だった。付属小からの持ち上がりではなく、中学入試を受けて入った子たちだ。この3人が仲良し組だということも知らなかったほどで、わたしにとって彼女たちは身近な同級生とはいえなかった。でも、1学年の生徒数が少ない中学校では、話をかわす機会もあって、どんな感じの人かというくらいはわかっていた。少なくとも運動部系のタイプとはほど遠かった。
それにまた、今の世で注目を集めがちな野球部の女子マネージャー、あるいは応援団のチアガールといったイメージともほど遠い。
そういった場面で女に期待される容姿も振る舞いも、彼女たちはもともと持ち合わせていなかった。というより、女の属性を使ってやろうという考えさえ思い浮かばなかったのではなかろうか。落ち着きのある、実直そのものの、まっすぐな子たちだった。
だからこそ、皆、この話に驚かされたのだ。
そういった場面で女に期待される容姿も振る舞いも、彼女たちはもともと持ち合わせていなかった。というより、女の属性を使ってやろうという考えさえ思い浮かばなかったのではなかろうか。落ち着きのある、実直そのものの、まっすぐな子たちだった。
だからこそ、皆、この話に驚かされたのだ。
あの高校では、野球部がどこそこの学校との試合に出るというと、選手激励の壮行会がおこなわれた。昼休みの時間、全校生徒がグランドを見下ろす見物席に召集され、正面に居並ぶ応援団の男たちの蛮声に従って、応援歌を歌わされるのだ。ただでさえ短い25分の昼休みはほぼつぶれ、わずかな時間で弁当をかきこんで終わった。
この壮行会に彼女たち3人の姿が見られるようになった。男たちが中央を占めるなか、その両端に立ち、紺色の制服姿に白はちまきと白手袋を着けて、真剣な面持ちで、拍子に合わせ、手旗を振る水兵のような動作を繰り返した。
どれほどのあいだこの3人が応援部で活動していたのか、わたしの記憶にはない。もとより、どんな気持ちで入部したのか、知ろうともしなかった。
この応援儀式に集約されるような学校生活のなかで、わたしのほうはと言えば、道を見失ってしまった。それとともに生きる気力まで失せていった。
この応援儀式に集約されるような学校生活のなかで、わたしのほうはと言えば、道を見失ってしまった。それとともに生きる気力まで失せていった。
何はともあれ、今では想像できる。あの入学式の日のイニシエーションで理不尽な思いをしたのは彼女たちも同じだったろう。そこでひらめいたのだ。黒づくめの男子生徒たちのなかに女子生徒が混じれば、旧制中学から引き継がれているらしい蛮カラぶりがやわらぐのではないか、と。
翌年の新入生たちがイニシエーションの場で少しはましな扱いを受けたとしたら、彼女たちは報われたことになる。たとえ滑稽に見えたとしても。
神話のトリックスターのように、彼女たちは息苦しい学校に、換気穴を開けたはずだ。
翌年の新入生たちがイニシエーションの場で少しはましな扱いを受けたとしたら、彼女たちは報われたことになる。たとえ滑稽に見えたとしても。
神話のトリックスターのように、彼女たちは息苦しい学校に、換気穴を開けたはずだ。
今でも、わたしはその3人の名前も顔だちもはっきりと憶えている。その一人、H本さんが付属中学時代に何気なく口にした言葉が、不思議にわたしの記憶に刻まれている。
「わたし、13歳という年が好きで好きで。その前でもない、その後でもない13歳だけ。だから、13歳が終わった時は、ほんと悔しかった」
ひらめきから発した行為や言葉は、意外なほど生き長らえるものだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿