2018年9月29日土曜日

体験・記憶から連想へと


承前。

「そういう絵柄として見たいがゆえに、そう見え、そうとしか考えられず、そのように理解する」と前回書いた。
過去の記憶のひとこまがそう書かせたのかもしれない。自分の意識の底に沈んでいた過去の出来事が、このような言葉を繰り出してきたのかもしれない。
何であれ、何らかの連想でつながることは可能で、連想の釣り針に引っかかる獲物が深海の珍しい魚であろうと、正体不明の生き物であろうと、つながるところから意味が生じるのだから。

まずはアイルランドでの出来事。
1990年代、夫のたっての希望で、西部クレア州の町エニスEnnisで開催された伝承音楽のセミナーに二人そろって参加したことがある。ここではその詳細にまでは立ち入らない。ともかく、レンタカーを借りていっしょにアイルランドをめぐるのは2度目のことだった。

エニスの町に入ってまもなく通りがかったB&Bが悪くなさそうだったので、部屋を見せてもらうことにした。あとで思えば、まずセミナーの本部を訪れて、宿を紹介してもらうのが順当だったろう。でも、イギリス、アイルランドでは、B&Bに関するかぎり、たまたま出くわす宿でじゅうぶん気持ちよく過ごすことができる。(現在ではずいぶん事情が変わってしまったろう)。

その家の女主人(あるいは主婦)はわずかにとまどいの表情を見せたが、わたしたちを招き入れ、部屋を見せてくれた。こちらもそのあいだに自分たちのことを説明した。東京からやってきて、町の教育施設で開催される音楽セミナーに参加することになっているのだと。
案内された部屋は少し狭いことを別にすれば、不満に思う理由もなかったので、とりあえずそこに2泊することに決めた。

あとで気がついたのだが、部屋にはひとつ妙な点があった。--これがこのエピソードの肝であるが--窓の横手の片隅に洗面台が設置されていて、その下のスペースに、色付けされた聖母マリアの像がすっぽり収まる形で立っていたのだ。

夫が言った。
「やっぱりこの国の信仰心のほどがわかるね。こんなところに表れているんだ」
「んーー(ソレッテ変ダ)」。わたしは同調できなかった。何だかおかしいと思いはしたものの、反論は思いつけなかった。

どれくらい後になってからのことだったか。セミナーが終わり、宿も引き払って、別の場所に移動していたのは確かだ。ほどよく晴れた空模様(よくreasonableと形容される)のもとで突然、啓示のように、わたしの頭に答が降りてきた。
「わかった、あの洗面台の下のマリア像のこと。--泊まり客の行動を監視させているのよ。夜、部屋の外のトイレに行くのが面倒くさいものだから、洗面台でやらかすなんてこともありうるね。それを防ぐためにマリア様に見張ってもらっているというわけ」
まさにどんぴしゃり。これ以外の正解はない。

つい最近、『ベロニカとの記憶』というイギリス映画を観たさい、ある滑稽な場面で上記のエピソードを思い出すことになった。
映画の原作はジュリアン・バーンズの『終わりの感覚』。わたしの好みの作家であり、語りたいことは多々あるが、いずれそのうちに。
以下は映画に依拠して書いている。

物語は、今や老境にある主人公トニーのもとに、思いがけない内容の手紙が届くところから始まる。そこで一気に自分の過去へと引きもどされると、記憶をたどり、反芻していく。
大学時代の恋人ベロニカのこと、高校時代からの親友で、若くして自殺したエイドリアンのこと。
過去の苦い体験については、きっぱり片をつけておいたはずだのに、今頃になって自分に揺さぶりをかけ、存在の根幹を揺るがそうとしている・・・。

そういう展開のなか、二十歳そこそこのトニーがベロニカの実家に招かれて滞在するシーンがある。
それはロンドン郊外のちょっとした邸宅で、いささか風変わりな家族は、ベロニカのフィアンセ候補に対し、小手調べのように、遠慮のないふるまいで応じる。
父親にいたっては、今夜泊まる部屋に案内しながら、片隅の洗面台を指して言うのだ。
「夜はそこに小便していいぞ」

で、実際に起きたことはと言えば。
その夜ベロニカに拒まれて、独りすごすごと自分の部屋に戻ったトニーは、何はともあれ洗面台に向かう。むろん放尿のためではない。



 


2018年9月26日水曜日

体験の容れ物、記憶


ほかでもない「体験の容れ物」に傾注することになったのも、この夏、飼い猫の最期に寄り添う毎日を過ごしたからだ。

現在進行形で起きていることに浸りきっているさなかの体験は、記憶として後まで残るものとは違う。
ある種の体験は、意識の低下した状態(たとえば夢)に出来しゅったいする象徴や、神話・伝説でもって語るほうが、時系列で語るよりも真実味をおびてくる。わたしはそういう「体験の容れ物」を必要としていた。

佐藤優が15の歳で体験したひと夏は、独特の様式で描かれている。独自に編み出した形態の意匠のなかで、当時の自分というものを対話形式で語っているのだ。対話そのものも、どことなく古めかしい「自己形成小説(ビルドゥングスロマーン)」を読んでいるように感じられる。そこには限りなくフィクションの匂いがたちこめている。とはいえ、その形でしか表せない真実というものがあるのは認めなくては。

「体験の容れ物」をまず用意するのだ。わたしはそう思うにいたった。

「記憶」というのは、「自分なりに理解した」かぎりの絵柄ではなかろうか。そう見えたし、そうとしか考えられなかった--だからそう理解した、と言っているだけのこと。じつは自分がそういう絵柄として見たいがゆえに、そう見え、そうとしか考えられず、そのように理解するのかもしれない。あるいは、すでに自分のなかに先入観があって、既成の絵柄からそれに当てはまるものを選んでくるのか。

2018年9月21日金曜日

ある光景


複雑な家族ドラマのワンシーンが切り取られて、そこにあった。それは傍目にもドラマと映り、前後の場面まで想像をふくらませられそうだった。

季節は春。午後もだいぶ過ぎた頃。わたしはいつも利用するスポーツ施設を出て、小学校正門に隣接する駐輪場へと向かっていた。ちょうど高学年の下校時間だったらしく、ランドセル姿の生徒たちがてんでに道路のほうに流れ出ていく。
Hello!」と呼びかける声が聞こえて、わたしは振り返ることになった。
声をかけられたのは、生徒の流れのなか、ひとりで歩いている女の子だった。細身ながら背丈は大人に近い。その姿にランドセルは気の毒なくらい似合わない。無理やり背中にくくりつけているように見えてしまう。
声の主は白人の女性で、少女のほうへ歩み寄り、親しげに手をとった。髪はブルネット、年は30台くらいだろう。白いTシャツに黒いスパッツという地味な服装が、贅肉をことさら目立たせていた。

少女は立ち止まって女性にうなずき返したが、目をそらし、表情は固いまま。それからすぐまた同じ歩調で進んでいく。そのあとを女がうつむき加減で続いた。歓迎されなかった自分を自覚している。白シャツの背中が敗北と諦めの表情をくすぶらせていた。

二人は目の前の道路を渡って、そのまま大通りへ向かう歩道を進んでいった。そこで少女はようやく歓迎すべき人を見つけた。どうやら父親のようだ。すぐさまその腕をとって、しなやかな全身を寄り添わせ、さかんに言葉をかけていた。傍目にも父と娘の親密なひとときに見えた。
で、白人の女性はというと、父娘のすぐ後ろを、今や完全にうつむいて、遠目にも贅肉のはみ出たシルエットのまま、とぼとぼ歩いていくだけだった。

そこまで目で追ったところで、場面はフェードアウトした。

2018年9月14日金曜日

体験を語る手段--佐藤優『十五の夏』を読んで


前回、ようやく飼い猫の死について語ることができた。だが、その前に、体験を語る手段について考えねばならなかった。

同じ頃、佐藤優の『十五の夏』(幻冬社・2018)の上巻を読んでいた。その本が、思いがけないことに、体験とは何かという疑問を誘発したのだ。
それは1975年、著者が高校に入って最初の夏休みを、東欧・ソ連をひとり旅して回った体験記だ。

上巻1冊で433頁もあるこの大部の作は、同時代の情報だけでも、詳細をきわめていて、息苦しいほど。それをやわらげるように、行く先々で出会った人々との会話が、要所要所にさしはさまれる。そういう軽やかなやりとりが、15歳当時のういういしい心を描きだしている。

ジャンル分けに従うなら、本書は「ノンフィクション」に入れられるのだろう。詳細な事実に関しては、当時の旅の記録にもとづいているにしても、著者と現地の人々との会話仕立ての描写はどうとらえるか。一番引き込まれる部分であり、それだけに、体験を逸脱するものと思ってまちがいない。まだ幼さを残す15の心を表明するには、自分の思いを相手から引き出してもらう会話・問答の形式がふさわしい。
著者は会話という容れ物を選んで、そこに15歳の自分が持っていたはずの葛藤を投入した。

当時、心にわだかまっていたあれこれのこと--自分は将来何をしようとしているのか、学校生活で日々感じている不満や疑問、教師や両親が自分に期待してくれていること。それらの思いが、出くわす人々との対話の形で、ライトモチーフのように幾度となく反復される。
出会う人々は、同年代の若者であれ、彼らの両親であれ、ホテルやレストランの案内係、通りすがりに声をかけてくる人々であれ、皆、何らかの形で15歳の心をひもといて、指針となる言葉を与えてくれるのだ。まるで前もって定められていたかのように、15歳当時の精神が、新たな出会いのなかで吟味され、確認される。

若者がその後数奇な運命に翻弄され、そこから生み出された著作の数々が万人に読まれ、多大な影響をおよぼすようになった事実を読者が知っていればこそ、それらの出会いに深い意味が感じられる。
そういう会話は、実際その通りにかわされたわけではなく、フィクションだとしてまちがいないだろう。
体験を定着させようとすれば、何らかの形のフィクションとなるしかないのだ。

著者は自分流の(すでに手慣れた)容れ物を使って、15の自分の心を語ることができた、という点において、この本はりっぱに体験記を名乗ることができる。


(ついでに)
不来方の
お城の草に寝ころびて
空に吸われし十五の心
(石川啄木『一握の砂』1910年刊所収)