〈永遠の夏休み〉という言い方そのものが、実体のない象徴のようなものだったはずだのに--。
高校時代の夏休み、目をこらして見つめていた先は、何年かたって、自分の現実の居場所となっていた。それは日本の対蹠地たる南米ほど遠くはないものの、やはり地球の裏側となるヨーロッパのはずれだった。
その夏、わたしはアイスランドを去って、デンマークにやってきた。まずはコペンハーゲン大学の夏期デンマーク語講習に参加することになっていた。
割り当てられたクラスは、デンマーク人配偶者のいる人など、デンマーク語の基本は身につけている外国人のためのものだった。(わたしの場合、アイスランド大学のデンマーク人講師に書いてもらった学業評価を見せたところ、そのクラスを指定された)。
授業といっても、いわゆる語学学習の場ではないので、机は円形に並べられ、若い男性教師が、その場に応じた話題を振り、課題を出して、授業の進行役をつとめていたように記憶している。
ある時、ferie (休暇)という題で作文を書いてくるようにという宿題が出た。わたしは雑誌か何かで読んだ話題を借用して、さっさと書き上げた。今となってそれを再現するすべはないが、細部はともかく、出だしとくくりの言い回しはまちがいなくその通り、文章の流れもそのままと言っていい、つぎのような短文をしたためた。
「われわれの神もまた世界を創造した。だが、7日目に休むということはしなかった。少なくとも、神が休んだなどという話は神話にない。
そんなわけで、過去の日本人は、七日ごとに休みをとるなど思いもよらず、来る日も来る日も働いてきた。
もちろん今では日曜、祝日、休暇がある。学校の生徒には夏休みなどの長期休暇がある。
でも、せっかくの長い休みも、宿題の仕上げや、そのほかの課題があってつぶれる。
勤労者には有給休暇がある。けれども、それは病気で欠勤するといった不測の事態にそなえて、なるたけ使わないでとっておくものとされている。
そのように、われわれはろくに休暇を楽しめないでいる。どれもこれもわれわれの神さまのせいだ。だって7日目に休んでくれなかったのだから」
そのように、われわれはろくに休暇を楽しめないでいる。どれもこれもわれわれの神さまのせいだ。だって7日目に休んでくれなかったのだから」
つぎの授業の時、その作文は Meget sjov!(すごく面白い)という教師のほめ言葉をもらったうえに、わたしがクラスの皆に読んで聞かせて、話題作りにひと役買うことにもなった。
0 件のコメント:
コメントを投稿