昨日の夕方、羽田を出発したANAの飛行機が、離陸後まもなく、機体の異常により引き返すという出来事があった。
それ自体、別に珍しいトラブルではなく、機は手順に従って、もとの空港に引き返し、無事着陸したまでだ。
だが、よりによってその日に、というわけで、このニュースは人の心をざわめかせるには十分だった。32年前のその日の同時刻、やはり羽田から伊丹に向けて出発した日航ジャンボ機が、迷走の末、群馬県の山尾根に墜落するという痛ましい出来事があったのだから。
32年前の墜落事故は、お盆の時期だったことも相俟って、日本人の心の深いところをつかんで揺さぶった。だから昨日のニュースを聞いて、人それぞれ、記憶を呼び覚まされ、情動をかきたてられたのだろう。あの事故のニュースに接したとき、自分がどこで何をしていたか、あらためて思い返し、当時を俯瞰して見た人も多かろう。
わたしはイギリスの北の先、オークニー諸島で日航機墜落のニュースに接することになった。
北欧とイギリス・アイルランドの民俗音楽を現地で追いかけるようになったのが1985年の夏だった。
いつも通り、コペンハーゲンをヨーロッパの玄関口にして、スウェーデンではダーラナ地方の〈フィドラーの集い〉、フィンランドでは民俗音楽の中心地カウスティネンの国際民俗音楽祭、それからノルウェー南部で、独特の音色を出す細工がほどこされたフィドルによる渋い音楽を堪能した。
そうして、ベルゲン~ニューカッスルのフェリー航路でイギリスに上陸した。
オークニー諸島は〈アイスランド・サガ〉の舞台にもなっている。ならば、ついでに訪れてみるか。そのくらいの気持ちの乗りでやってきて、まだまだ夏の観光シーズンが続いているなか、それなりの見もの、聴きものを楽しむことになった。
ともかく、滞在中の町の食堂で夕飯を食べている最中だった。そこのテレビから、日航機が墜落したというニュースが流れてきたのは。
東京に近い山に落ちたとか、乗客のなかに人気歌手が含まれているといった情報は、まだ明るい夕刻の空の下では現実の色あいが感じられなかった。テレビも白黒だった。
食堂の女主人は、わたしが日本人であることを確かめてから、心のこもった言葉をかけてくれた。