2020年1月28日火曜日

希望を見せてあげるわけにいかない


舞台を職業にしていれば、プロモーションはふだんの業務である。そのことをよく知っている両親は、グレタを精神的に支えるだけでなく、メディアに売り込むことにも尽力した。

母マレーナ・エルンマンは〈グレタ本〉を書いて、出版するにいたった。父スヴァンテ・トゥーンベリのほうも、実現はしなかったものの、グレタの企画番組をテレビ局に売りこむ画策をした。

こんな話もある。グレタの活動が知られるようになって、ある出版社からスヴァンテに、グレタと気候変動の本を出したいという話があった。だが、そこには条件がつけられていた。気候変動についてはまだ希望があるということも入れてほしいという。
しかしスヴァンテは、問題の深刻さを訴えるためには手加減しない、希望についてふれるつもりはないと答えて、その話は立ち消えになった。

ここで話はまるきり別の分野に飛ぶが、日本の林業についてさまざまな切り口で発信している田中淳夫という〈森林ジャーナリスト〉のエピソードが思い出される。
彼のもとには、ネットも含めた各種メディアが意見を求めてくる。しかも例外なく、日本の林業には未来がある、希望があるという話がほしいという。それを拒否すると、相手はたちまち引いてしまい、彼の意見はボツになるのだそうだ。

その分野を知り尽くしているだけに(彼はもともと大学で林学を学んだ専門家で、海外も含めたフィールド体験も豊富だ)、自分の知見に希望的観測を織り交ぜるつもりはない。

とはいえ、日本の林業の惨状を報じるばかりでもなかろう、というわけで、最近出した本では、意識して未来への道筋について語るようにしている。本のタイトルは『絶望の林業』(新泉社2019)。


話をグレタ・トゥーンベリのことに戻す。

グレタは父親に言う--
 みんな希望にとりつかれちゃったみたい。甘やかされた子どもみたいに。だけど、その希望がなくなったらどうするの?嘘をつくの?行動のない希望は、遅かれ早かれ消えてしまうのに・・・

公的な場でのスピーチは--
 もちろん私たちには希望が必要です。でも、希望より必要なものは行動です。行動をはじめれば、希望が広がります。ですから希望を探す代わりに、やることを探しましょう。・・・

(『グレタ たったひとりのストライキ』羽根由訳より)


2020年1月12日日曜日

グレタの不安と絶望



それにしても、なぜこれほどまでに気候変動に脅威を感じているのか、グレタ・トゥーンベリという人は?そこにわたしの関心が向かう。

公的な場で訴える姿が報道されるにつれて、彼女は毀誉褒貶にさらされるようになった。若い人々のあいだで共感が広がる一方で、〈あの子供〉は大人に言われるとおりに発言しているだけだ、どうせあれこれの活動団体の操り人形だろう、とか、早く学校に戻れ、大学に進んで科学や経済学を勉強するのがいい、といった言葉を投げつけられてきた。

ネットの時代、そういった周辺的記事ばかりが増殖し、雑音となって押し寄せ、いちいち取り上げるのも無意味に思えてくる。

言うなれば、グレタは地球の未来に不安を抱いているのである。今や人間の過剰な欲望が地球をむしばみ、将来住めない場所になってしまうのではないかという絶望に近い思いを。
最近では、地球が危機的状況に陥るのは2030年という説まで取り入れるようになっている。

子供時代のグレタは外界に適応するのがむずかしかった、と母マレーナは自著の中で明かしている。その抑えた口調からも、娘が通っている小学校になじめず、いじめられていたことがうかがえる。

トゥーンベリ一家がストックホルムに居を定めたのは、グレタが入学年齢になってからのようで、それまでは母親のオペラ公演に合わせて、一家で移動生活をしていた。

クレタは5年生(11)のとき、環境問題のドキュメンタリー映画を授業で見せられて、衝撃のあまり泣き続け、何も食べられなくなった--このくだりがグレタ本の山場のひとつをなしている。

じっさい両親からすると、食事をうけつけないのに加えて、アスペルガーと診断された長女との生活は、毎日が闘いのようなものだった。(拒食症を何とか脱してからも彼女は摂食障害を抱えている)。

環境問題の映画そのものは、ほかの生徒たちにとっては、すぐに別のことに関心が移って忘れてしまえるものでしかなかった。なのに、グレタには自分の存在が揺らぐほどの脅威として受けとめられたのだ。

学校でほかの子供たちから孤立して、自分から発言しようとしなかったあいだも、グレタは世界のありようを自分なりに考えていたにちがいない。

両親としては、何らかの方法でグレタのことを理解してやりたいと思うばかり。そうやって新しい生きる道を探す途上で一家は、気候変動という地球の大問題を、いわば拠りどころにして、結束するための柱とするようになったのだろう。

現実に、世界各地で異常気象による森林火災や洪水が起きている

2018年、新学期の始まりに合わせて〈学校ストライキ〉を実行すると決めた15歳の夏、グレタは父スヴァンテに連れられてスウェーデン最北の北極圏付近を旅して回る。そこも異常な高温で、極地に定住する人たちも不安をおぼえるほどだった。
気候変動について訴える機は熟していた。



〈グレタ・トゥーンベリの作られ方〉から5回にわたって書き継いできて、ようやく宇宙船アニアーラ号とドッキングすることになる。

半世紀以上前、スウェーデンで熱狂的に迎えられた宇宙叙事詩『アニアーラ』は、それを読まなくなった世代の記憶の深層にトラウマとして残っている。
絶命寸前の地球を離れて生きるしかない人間の不安と絶望を、今現在の世界に見てしまう、それらを環境遺伝のように引き継いでいるのがグレタだ。

グレタのことを語ってやまない母マレーナも、前向きな態度を保ってはいても、ところどころで、地球が失われる不安を吐露せずにはいられない。

 私は横たわり、自分よりずっと不運な人々の記事を読んだ。
 燃えつきてしまった地球で、燃えつきてしまった人々。この星では、気候、風、日常生活が日ごとに深刻度を増している。
 これはまったく同じ病気の異なる症状なのだ、と思った。地球全体を脅かす病気が発生したのは、私たちが互いに背を向けているから。そして自然にも背を向けているからだ。

 ・・・私たちは宇宙の無人島に漂着したのだ。

(マレーナ・エルンマン『グレタ たったひとりのストライキ』羽根由訳より)