あのとき、わたしは前もって周到に旅の形を思い描いていたわけではない。なのに、出発前に買った旅行鞄は結果的に、その長旅のためにあつらえたと言っていいくらい、恐ろしくぴったりのものとなった。だが、半年後、日本にもどる途次、パキスタン航空の経由地カラチで乗り換えるさい、受け取れないまま失われてしまった。
航空会社は後日、規定どおりキロいくらで算定した補償金を支払ってくれた。実際のところ、その鞄の中身の物品的価値からすれば相応の額だったろう。
だが、わたしにとっては、記憶の一部が失われたも同然の痛手となった。撮りためた数多くの未現像フィルム。旅日誌。それらは深海に眠る沈没船の財宝のように、あるいは、地下の奥深くに秘められた宝石の鉱脈のように、年月をへても、まぼろしの輝きを放つ空白として記憶されることとなった。
いまだ苦い悔いとともに、そのベージュ色の旅行鞄が、色あせた絵となって心をよぎることがある。
それは強化ナイロン生地の縦長鞄で、じつにうまくできていた。中央で上下の収納スペースに分かれていて、半分に折ると、真四角のクッションを合わせた形の手提げ鞄に変わる。中央のつなぎ部分に持ち手がついていた。神髄は、中央のつなぎ目にあった。バイクの後部座席に鞄の中央部を乗せて跨がらせると、座面の左右に荷物が均等に振り分けられ、バラストの役割まで果たしてくれる。
それは強化ナイロン生地の縦長鞄で、じつにうまくできていた。中央で上下の収納スペースに分かれていて、半分に折ると、真四角のクッションを合わせた形の手提げ鞄に変わる。中央のつなぎ部分に持ち手がついていた。神髄は、中央のつなぎ目にあった。バイクの後部座席に鞄の中央部を乗せて跨がらせると、座面の左右に荷物が均等に振り分けられ、バラストの役割まで果たしてくれる。
バイクと鞄とわたしが、いずれもコンパクトな一体となって、どこまでも行けるように感じられた。
最初からバイク用のつもりでその鞄を選んだわけではない。そもそも作りが気に入ったのだ。荷物を半分の容量にして持ち歩ける。フルサイズにまで詰めたら、リュックとして背負って運ぶのもいい。--自分の身の丈を念頭に置いてのことだったはずだ。
そのときの旅については、以前の記事で少し触れている。
バイクを手に入れることについては、最初からそのつもりだった。
ヨーロッパでは50ccバイクは、16歳以上という年齢制限があるだけで、免許なしで乗れる。自転車とほぼ同じ扱いだった。(今も同じかどうかは知らない)。
ヨーロッパでは50ccバイクは、16歳以上という年齢制限があるだけで、免許なしで乗れる。自転車とほぼ同じ扱いだった。(今も同じかどうかは知らない)。
コペンハーゲンに早朝着いて、その日のうちにもう中古バイクを手に入れていた。Vespa
Ciao という愛称のついたイタリア製。長旅の終わりに、ギリシアのコルフ島までたどりついて、結局、バイクは当局に預けるという形で事実上、手放すことになった。
半年を共にしたコンパクトな三者のうち、バイクがギリシアで消え、旅行鞄はパキスタンで消え、わたしは身軽な身ひとつで帰国した。そんな経過をたどったせいかもしれない、何とはなしに、自分をつなぎとめるバラストがあるのもいいな、と思えるようになった。